人事制度
2025.10.24

「なぜ、あの人が昇格したのか」。社員からそう言われたことのある経営者の方は、少なくありません。ただ、この不満の原因は、昇格した本人にも、決めた上司の好みにもありません。
昇格の基準が、言葉になっていないからです。 基準がなければ、どれだけ妥当な人選をしても、社内には「気に入られた人が上がった」という説明だけが残ります。
研修の休憩時間に、30代の方から聞かれることがあります。「実務ではこちらのほうが数字を出しているのに、あの人が先に係長になりました。どう納得すればいいですか」。
正直なところ、答えに困る質問ではありません。話を聞いていくと、昇格した方は、部署間の調整をしていたり、担当者のいない仕事を拾っていたりします。つまり、昇格の判断自体は間違っていないことが多いのです。問題は、その理由が誰にも説明されていないことです。
もう一つ、見過ごされやすい光景があります。昇格した本人が、一番きつそうにしている場合です。周囲が納得していないので、指示が通りません。前任者と同じことを言っても、反応が違います。本人は「自分は認められて上がったわけではないのかもしれない」と感じ始めます。
辞令を出した側からは、この2つの光景は見えません。人事は動いた。組織図は更新された。ところが現場では、一人が不満を抱え、もう一人が自信を失っています。
昇格に納得がいかないという声が出るとき、社内では2つの説明のどちらかが選ばれます。「あの人は上とうまくやっている」か、「自分は正当に評価されていない」かです。
どちらも、事実ではないことが多いです。それでも、この説明が選ばれます。ほかに説明が用意されていないからです。
人は、理由が示されない出来事に対して、自分で理由を作ります。そして、自分で作った理由のほうが、後から訂正するのが難しくなります。
つまり、納得されない昇格が起きているかどうかを決めているのは、社員の理解力でも上司の人柄でもありません。基準が言葉になっているかどうかという、職場の環境です。そして、その環境を用意できるのは経営者だけです。
はじめに、昇格した側の話をしておきましょう。
数字に出ない働きは、確かにあります。会議で話がかみ合わなくなったときに、「今の趣旨はこういうことですよね」と言い直して場を戻す人。担当者が決まっていない仕事を「ではやっておきます」と拾う人。他部署の動きを把握していて、困ったときに誰に聞けばいいかを知っている人。報告に自分の考えを一言添える人。
こうした働きは、組織の摩擦を確実に減らしています。いなくなると、途端に物事が止まります。ですから、これを評価すること自体は正しい判断です。
ただし、この種の貢献には、見えている人と見えていない人がいます。
調整の場に居合わせた人には見えます。同じ部署で毎日一緒に働いている人には見えます。隣の部署の人には、まったく見えません。見えていない人にとって、その昇格は「実務の成績と関係なく決まったもの」として映ります。
見えるかどうかで判断が割れるものを、そのまま判断材料にしている。これが、納得されない昇格の正体です。
「多少の不満は仕方がない」と考えると、判断を誤ります。実際に起きる損失は、3つあります。
不満を抱えた社員のうち、先に動くのは、転職の選択肢がある人です。つまり、実務で成果を出している人から辞めていきます。
しかも、この人たちは辞める理由を正直には言いません。退職の面談で出てくるのは、「家庭の事情」や「新しい挑戦」です。人事の記録には「円満退職」と残ります。原因が記録に残らないため、翌年も同じことが起きます。
期待していた30代が辞めた会社で、後から話を聞くと、昇格の一件が半年前にあった、という経過はよくあります。
辞めていく側が、そのとき何を考えていたのかは、仕事ができるのに評価されないにまとめています。退職の面談では、まず出てこない話です。

これは、経営者の方が最も惜しいと感じる損失だと思います。
周囲が納得していない状態で役職に就いた人は、権限を発揮できません。無理に人を動かそうとすれば、「あの人は急に偉そうになった」と言われるからです。結果として、以前と同じ働き方を続けます。役職手当だけが増えて、仕事の中身は変わりません。
期待して引き上げたはずの人が、引き上げたことで動けなくなる。基準を示さなかった代償は、ここに出ます。
これが、いちばん長く残ります。
一度この説明が定着すると、若手の行動が変わります。仕事の中身を良くするより、決める人の目に触れることを優先するようになります。正面から取り組む人が損をする、という経験が積み重なるからです。
私は、この状態を最も避けるべきものだと考えています。 まじめに取り組んだ人が報われない構造ができると、組織の中で最も信頼できる人たちが、最初に力を抜き始めます。
ここで、上司を責めても解決しません。基準が示されていないとき、上司は自分が見た範囲で判断するしかありません。人は、見ていないものを評価できないからです。
そうすると、よく話す人、よく報告に来る人、同じ場に居合わせる時間が長い人が有利になります。これは好き嫌いではなく、情報の偏りです。現場に出ている社員と、内勤で上司の近くにいる社員とでは、判断材料の量が最初から違います。
つまり、基準がない状態を放置すると、評価は自動的に接触の量に近づいていきます。誰かが不公正なことをしたわけではありません。判断の拠り所がないときに起きる、自然な結果です。

昇格が納得される会社は、たまたまそうなっているわけではありません。自律型人材が育つ環境4つの柱が整っています。
昇格の納得感に直接効くのは2番目の「人事制度」です。ただし、人事制度だけを作っても、必ずしも機能しません。何を期待しているかが明確になっていなければ、等級制度はただの役職一覧になるからです。
順番としては、まず「求める人材像」を定めて期待を言葉にし、人事制度でそれを等級と昇格の要件に落とします。この順序を逆にすると、他社の等級表を写しただけの、形だけで機能しない制度になってしまいます。
自社の4つの柱のうちどこが弱いかは、25の設問で確認できます。回答後にすぐに結果を確認できます。お試しください。
制度の全面改定に着手する前に、確かめられることがあります。
1. 直近3年の昇格者について、理由を一行で書き出す
「調整力がある」では足りません。「どの場面で、何をしたか」まで書きます。書けない昇格があれば、そこが説明されていない一件です。3年分で数人を書くだけなので、30分で終わります。
2. 等級ごとに、任せる判断の範囲を一行だけ決める
金額でも、範囲でもかまいません。「この階層は、5万円までは自分で判断してよい」という一行があるだけで、昇格の意味が変わります。役職が肩書ではなく、渡されたものになるからです。
3. 昇格を伝えるときに、理由を本人に言葉で伝える
周囲への説明より先に、本人に伝えます。本人が理由を言えない昇格は、周囲にも説明されません。
兵庫県の食品製造業(社員80名)で、この3つから始めた例があります。
きっかけは、製造課の主任昇格をめぐって、現場の空気が2か月ほど重くなったことでした。社長は「説明すれば分かる話だ」と考えていましたが、朝礼で一度話しただけでは戻りませんでした。
打ち手は、等級ごとの役割を1行ずつ書き出したことです。5段階で、A4用紙1枚に収まりました。あわせて、昇格を伝える面談の場で、選んだ理由を本人に3つ挙げて伝えることにしました。
変化が出たのは、翌年の昇格時です。同じ職位の昇格に対して、現場から質問は出ませんでした。書かれた基準があると、比べる先が人ではなく基準になります。
うまくいかなかった点もあります。基準を書いた時点で、既に主任職にあった2名が、新しい基準に照らすと要件を満たしていませんでした。その扱いをめぐって、経営陣の議論が1か月止まっています。結論としては、現任者は据え置き、次の昇格から適用する形にしました。ここは事前に決めておくべきだったと考えています。
等級と評価、賃金をどうつなぐかは〔商材リンク:自律型人材が育つ環境づくりコンサルティング〕に記載しています。
「なぜ、あの人が」という声が出るのは、社員の理解力の問題ではありません。昇格の基準が言葉になっていないからです。
基準がなければ、評価は見えた範囲と接触の量に流れます。そして社内には、うまくやったもの勝ちだという説明だけが残ります。まじめに取り組んでいる人から順に、力を抜き始めます。
自社の昇格がどう見えているかは、社内からは見えにくいものです。人材像・人事制度・マネジメント・育成体系の4分野について、どこが弱いかを10分で数値にする無料診断をご用意しています。今回の内容は、診断の「制度」の項目に対応しています。
株式会社ビジネスキャリア・コンサルティング 代表取締役社長。中小企業診断士、国家資格キャリアコンサルタント。事業会社で人事制度の再設計や業務改善に携わったのち、2021年に独立。中小企業の人材育成と組織づくりを支援しています。
著作『指示待ち人間からの解放〜自ら考えて行動する社員を増やす4つの柱と7つのステップ〜』『指示待ち人間からの卒業〜自ら考えて行動する「自律型人材」になる方法〜』