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2020.6.8

もう元には戻れないし、戻ってはいけない

5月25日、東京など残る5都道県で緊急事態宣言が解除され、約7週間及ぶ緊急事態宣言が日本全国で終了となりました。

休業していた小売店や飲食店なども徐々に再開しはじめ、街を歩く人の数が増えてきました。まるで新型コロナウィルスに打ち勝ったかのような雰囲気ですが、実際のところ、事態が収束したというよりも、経済活動をこれ以上停止させるのは限界だと判断したというのが本音のところではないかと考えます。

もともとは5月31日までの延長が予定されており、5月22日には全国の感染者数が89人にまで再び増加していました。このタイミングで前倒ししてまで解除に踏み切ったのは、社会や経済の活動を止めることによるダメージが、感染拡大防止よりも深刻であると判断したと考える方が妥当ではないかと思います。

出典:Googleニュース

解除後も、北九州でのクラスター発生がニュースで取り沙汰され、東京でも連日2ケタ台の感染者増により「東京アラート」が発令。「宣言の解除により気の緩みが出た」なんていう声もありますが、もともと潜伏期間が2週間あると言われていたわけで、いま発覚している方々は緊急事態宣言下において感染したものだと捉えることができます。

何より、ピーク時には検査を受けられる人数そのものが非常に限定的であり、感染の疑いがあっても検査ができなかった方も決して少なくはないでしょう。徐々にピークアウトに向かったことで、新たに検査を受けられる人数が相対的に増えて、「隠れ感染者」が明るみに出ただけだと考える方が合理的な気がします。

ましてや、多くの場合は感染しても無症状で無自覚なわけです。こうして書き物をしている私自身も、感染している可能性は決してゼロではありません。いま「普通に」暮らしている人の中にも、隠れ感染者が何人いてもおかしくなく、それを測定することは極めて困難です。

ウィルスはなくなっていません。これからも、都市部では2ケタ台の感染者発覚がしばらく続くことも十分に考えられます。

つまり、まだ何も終わっていないのです。

「ワクチンができるまでの我慢だ」「ワクチンができるまで最速で1年半」と、来年の夏頃でコロナウィルスとの戦いが終息すると考えている方々もいるようです。

しかし、1年半でワクチンが完成する保証が本当にあるのでしょうか。真偽はともかく、すでに変異が確認されているとする記事もあり、ウィルスの変異とワクチン開発がイタチごっこの様相になる可能性も考えられます。

加えて、ウィルスの脅威は世界中に広がっています。もし仮に1年半で完成したとして、それが各国の人々に行き渡るだけ生産され、実際に私たち一人ひとりが接種できるようになるのにどれだけの期間と労力、そしてお金が必要なのでしょうか。

「ワクチンの完成=ウィルスの克服」なんていう単純な話ではないように思います。あと2年、3年、あるいはそれ以上、今の状況が続く可能性も決して否定できないシナリオです。とはいえ、何年にもわたって、緊急事態宣言下のようにただただ自粛しているわけにもいきません。この状況で生き、平和に暮らしていく術を確立する必要があります。

ウィルスの存在を前提とした上で、社会的・経済的な活動を安定的に継続するために、私たちはそれぞれの仕事や生活の様式について、「何を」「どのように」変えなければならないのかを、一人ひとりが考え続けなければならない状況にあると言えるでしょう。

緊急事態宣言は解除されましたが、これは新型コロナウィルスとの「共存体制を整えるための準備期間(私は”Face to コロナ”と読んでいます)」が終了したに過ぎないと考えるべきでしょう。

そして、ここからが、コロナウィルスと共に生きる「Withコロナ」時代の本当のはじまりだと言えます。

命がけの通勤が本当に必要なのか

緊急事態宣言が解除されたことで、暫定的なリモートワークを5月いっぱいで取りやめ、6月から「通常勤務」に戻す企業も決して少なくないようです。

宣言解除後の初の月曜日となる6月1日から、朝の駅の様子はすっかり元通りの満員電車になっていたようで、満員電車を嘆く声がSNSやニュースで相次ぎました。(私自身はもう3ヶ月以上、朝の駅には近づいていないので、実際の様子はわかりません)

 

“満員電車”がさっそくトレンド入り 「第2波が来そう」「なんでテレワークを続けない?」などの声が集まる(ねとらぼ)

緊急事態宣言解除も「満員電車耐性」なくなった 在宅勤務定着で出勤再開憂うつ(J-CAST)

満員電車に逆戻りの6月1日 「在宅勤務できる人は頼む」出社必須の業種の叫び(niftyニュース)

 

正直なところ、予想はしていたことですが、やっぱりその通りになったのは、ただただ残念だという他ありません。

医療はもとより、生産、小売、物流といった「現物」を扱う業種や、物理的なサービスを提供する業種、顧客が「来店する」業種は職場に行かなければ仕事ができず、通勤が避けられないでしょう。

通勤そのものが必ずしも悪いわけではありません。社会のニーズを満たす価値を生み出し、提供するのが仕事の目的ですから、そのために設備や什器が必要であったり、顧客と物理的に接する場が必要であったりする場合は、自らの職務を果たすためにも通勤はしなければならないでしょう。

しかし、Twitterやニュースサイトに投稿された写真を見る限り、電車に乗っている人々の多くがスーツ姿のオフィスワーカーです。

あれだけリモートワークへの転換を要請されているにもかかわらず、本来避けられるはずの「朝の通勤電車」にわざわざ乗り込み、感染リスクを高める密な空間を人口的に作り出しています。自らを危険にさらすだけでなく、命がけで働いていらっしゃるエッセンシャルワーカーの方々をさらなる危険をさらす行為と言っても過言ではありません。

ソーシャルディスタンスはどこにいったのでしょうか。いつの間にか、もう3密を回避しなくても良くなったのでしょうか。そんなことはありません。いまの状況下ではまだ、見知らぬ人と身体が触れるだけでも恐怖を覚えます。これで隣の人がマスクをしていなかったものなら、背筋が凍る思いをすることでしょう。

もちろん、電車に乗っているオフィスワーカーたちが、自ら好んで満員電車に乗っているわけではないと思います。結局のところ、企業の経営管理の問題であり、経営者や上位管理職の根底にある考え方の問題だと言えます。

この2ヶ月間、いったい何を学んできたのでしょうか。

リモートワークの「民主化」が進んだ

緊急事態宣言により、オフィスワーカーたちがそれまで常識としていた従来のワークスタイルが、ことごとく機能不全に陥りました。それでも、私たちは2ヶ月間、工夫を凝らしながら仕事をしてきました。

オンライン環境で仕事を再現する能力を、私たちはこの短期間で急激に鍛えてきました。設備や環境が整わない面はもちろんありますが、意外と「やってみたらできた」ことは決して少なくないはずです。

もちろん、コロナ以前にもリモートワークはありました。webミーティング、クラウドコンピューティング、ビジネスチャットなど、必要なツールはありましたし、利用する方は利用していたでしょう。

私もコロナ以前は出張族でしたので、モバイルでのリモートワークが前提の働き方をしていました。主張先のホテルからSkypeやFaceTimeを使ってミーティングをすることも決して少なくはありませんでした。

しかし、ビジネスは一人でできるものではありません。同僚、取引先、顧客など多くの方々とのコミュニケーション、情報交換が必要です。自分だけがリモートワークになっていても、仕事で接する方々がみなリモートになっていなくては、どこかで「出社」が必要になります。

しかし、この2ヶ月の間に、社会が強制的にリモートワークを導入せざるを得ない状況となり、急激にリモートワークの「民主化」が進みました。仕事をオンラインで、リモートで行ってもまったく支障のない状態になりました。「一部の特別な人」のものだと思われていたリモートワークは、大多数のオフィスワーカーにとって身近な存在となったのです。

何年かかってもほとんど進まなかったワークスタイル変革が、たった2ヶ月で果たされてしまったわけです。このインパクトと意義は非常に大きいです。あれこれ理由がつけられて一向に進まなかった働き方改革の諸課題が、やろうと思えばすぐにでもできたことが露呈されたと言っても過言ではないでしょう。

また、どうしても出社が必要な職場だとしても、混雑した満員電車を避けるための時差通勤が広く受け入れられるようになりました。出社日や通勤時間を分散させても、仕事が十分にできることが立証されたわけです。フレックスタイム制や裁量労働時間制、変形労働時間制を用いれば、現行法の中で柔軟な働き方を実現することが可能です。働き方改革に必ずしも法改正は必要ありません。今すぐできることばかりなのです。

そして、この2ヶ月間で私たちは、通勤と出社、タイムカードでの勤怠管理、書類の印刷と押印、集合形式でのミーティング・会議、島形式のオフィスレイアウト、ローカルファイルサーバーへのデータ保存など、今まで「必要なもの」と信じて疑わなかったことの数々が、実は「なくても大丈夫だった」ということを学んだのです。

これらは、私が社会人一年生として最初の会社に入社した、20年前からまったく変わっていません。つまり、20年間まったく同じ働き方を続けているのです。だから「失われた20年」なのです。これがOECD諸国で「中の下」に位置づけられた、日本の労働生産性の低さの原因だと言っても過言ではありません。もう、いい加減に変わらなければならないのです。

元に戻る方が楽です。人間にはみな現状維持バイアスがありますから、何事も元通りの方が無難で安全なように「錯覚」します。社員をオフィスに呼び集め、目に見えるところで管理する方が楽です。リモートワークのマネジメントは、従来にない高度なスキルが要求されます。元に戻れば、自分たちは変わらなくていいのです。しかし、それではまた時間を止め続けることになります。

なにも完全にリモートにしなければならないと言っているわけではありません。重要な商談や問題解決のミーティング、デリケートな話題の面談など、Faee to Faceが必要な場面もありますし、純粋に人と触れ合いたいという欲求もあるでしょう。

しかし、出社が前提で例外的にリモートワークを行うのと、リモートワークが前提で例外的に出社するのでは、労働生産性に大きく差が出てきます。加えて、通勤時間の短縮とストレスの軽減は、ワークライフバランスとメンタルヘルス保全に良い影響を与えます。オフィスには、必要に応じて、必要な時だけ行けばいいのです。

ここ数ヶ月で進めてきたリモート化、オンライン化への取り組みをさらに続けていくことによって、私たちはさらなる限界突破を果たすことができます。これが少子高齢化、人口減少、グローバル化、格差拡大、産業構造の変化など、コロナ以前から抱えていた社会・経済の重要な課題に対処するための原動力となります。決して歩みを止めるべきではありません。

これだけ世界で広範囲に社会・経済活動が停滞する事態は、第二次世界大戦以来だと言われています。歴史の教科書に確実に記載されるであろう一大事です。いま変わらなくて、いつ変われると言うのでしょうか。

 

「成長する」とは「変化する」ことです。単純に元に戻ろうとすることは、自ら成長を放棄することに等しいと言えます。

どなたにも、元々やっていたビジネスがありますから、何もかもすべてを変える必要はないでしょうし、変わらなければならない度合いは業種や業態、職種によって異なるでしょう。

しかし、前述の通りコロナウィルスの終息には長い時間がかかりますし、そもそも終息する保証もありません。人類の歴史の中で、完全に克服できた感染症は天然痘だけです。今回の新型コロナウィルスとも世紀を超えて共存するシナリオだってゼロではありません。

もう元には戻れないし、戻る必要もありません。戻ってはいけないのです。

宣言が解除され、経済活動が本格的に再開する今月からが本当の勝負です。私たちは、それぞれの生活や仕事の中で「何を」「どう変えて」生き延びるのか。一人ひとりがそれを考え、行動に移さなければならない局面を迎えているのだと、私は考えます。

 

本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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