時間管理
2025.5.1
目次
近年、「タイパ」、つまり「時間対効果」や「時間効率」を重視する考え方が広く浸透してきました。動画を倍速で観たり、本は要約だけで済ませたり。さらに、会話は結論から端的に話す。そんな風潮が当たり前になりつつあります。
かつては費用対効果という意味の「コスパ」という言葉が一般的でした。タイパはその時間版とも言える新たな価値観です。特に若い世代を中心に「できるだけ短時間で最大限の成果を得たい」とする傾向が強く見られるようになってきました。
最近では若い世代を中心に広がりを見せる、タイパ重視の風潮。しかし、実際にはこの「タイパを重視する姿勢」は、昔からあったとも言えます。
かくいう私自身も20代の頃から、時間の使い方には常に意識的でいました。当時は2000年代初頭で、実は統計的に見ても非常に長時間労働が多かった時期です。
労働時間は経済成長期やバブル期の方が長かったと思われるかもしれません。しかし、実際には2000年から2010年ごろにかけて、特にフルタイムの正社員は猛烈に働いていました。
非正規雇用の増加で統計上の平均労働時間は下がって見えますが、実態としては決して楽ではなかったのです。
慢性化する長時間労働の中で、できる限り早く、できる限り時間をかけずに仕事を終わらせようとする動きは、当時から確かにあったように思います。
多くの仕事に忙殺される日々。どうにか早く帰ろうとしたり、限られた時間内で成果を出そうとしたりするうちに、「タイパ」は自然と私の中でも大切な指標となっていきました。
そしてスマートフォンが登場してからは、自己啓発音声を高速で聴いたり、動画を倍速で観たりといった工夫も加わり、時間の有効活用を常に追い求めてきました。
だからこそ、私は「タイパを意識すること」自体が悪いとは全く思っていません。むしろ生産性を高めていく上では重要な姿勢です。
しかし、その一方で「タイパを考えるべきではない場面」というのも確実に存在します。
むやみに時間短縮を追い求めることで、かえって大きな損失を招いてしまう領域があるのです。
今回は、その代表的な5つの場面について、ひとつずつお話ししていきます。
タイパを考えてはいけない最初の場面は、「人との会話・雑談」です。これは私自身の経験からも強く実感していることです。人と人との信頼関係やつながりは、共に過ごした時間や、やり取りの量と質によって育まれていくものです。
相手が話をしているとき、「話が長いな」と感じることはあるかもしれません。忙しい時ほど、「で、結論は?」「早く要点を言ってよ」と言いたくなるのも分かります。
しかし、そのような態度は相手に確実に伝わってしまいます。話の腰を折られると、「この人、私の話に関心がないんだな」と感じられてしまうのです。そうなると、相手も心を閉ざし、表面的な関係にしかなりません。本来得られたはずの信頼や協力、さらには深い理解を失うことにもつながりかねません。
加えて、雑談も非常に重要です。雑談は単なる無駄話ではなく、創造的なアイデアが生まれる源泉でもあります。ビジネスの現場でも、会議中では出なかったような発想が、休憩時間の何気ない会話や飲み会の場から生まれることがよくあります。私のYouTube動画やメルマガのネタも、実はこうした雑談の中から生まれたものが少なくありません。
人との関係性を築く上でも、創造性を発揮する上でも、雑談や何気ない会話に「タイパ」を持ち込むことは、むしろ損失を生む行動なのです。目先の時間を惜しんだ結果、長期的な信頼や成果を逃してしまっては本末転倒だと言えます。
タイパを考えてはいけない2つ目の場面は、「読書」です。
最近では本の要約サービスや解説動画が人気を集めています。たしかに、時間がない中で効率よく情報を得るという意味では非常に便利です。
ハウツー系の実用書などは、要点だけ押さえておけば十分ということもあるでしょう。しかし、すべての本がそうではありません。特に哲学書や小説、エッセイなど、感性や文脈を重視する内容の本においては、速読や要約では本質が伝わらないことが多いのです。
読書というのは、単に情報を「得る」作業ではなく、著者の世界に「浸る」体験でもあります。
文章の流れやリズム、語り口調、文脈の変化を味わいながら読むことで、初めてその意図や深みが理解できるのです。
実際に私も著書を執筆している立場として、自分の書いた文章の意図や構成を理解してもらうには、やはり一冊をじっくり読んでもらわなければならないと感じます。
要点だけを拾われてしまうと、どうしても伝えたかった核心がぼやけてしまうのです。
その点では、「多読=良いこと」という発想も時には見直すべきかと考えます。むしろ、少ない冊数でも一冊をじっくり読み込む方が、自分の思考や感性の幅を広げるには効果的です。
読書は、味見ではありません。咀嚼して血肉にしていくための営みだということを忘れてはならないと言えます。
タイパを考えてはいけない3つ目の場面は、音楽や映画、芸術などに触れる「芸術体験」の時間です。
ここにもタイパを持ち込もうとする風潮があります。映画やドラマを倍速で観る、音楽を倍速再生する、という人が増えていると聞きます。しかし、果たしてそれで本当に感動や感性が伝わるでしょうか。
芸術は、必ずしも情報処理の対象ではありません。たしかに、あらすじやストーリーだけを追えば理解した気になるかもしれませんが、感情の揺らぎや余韻、沈黙の持つ意味など、非言語的なメッセージを味わうには、時間を「かける」ことが必要不可欠なのです。
映画のクライマックスシーンや音楽のサビが心を打つのは、そこに至るまでの流れがあるからこそです。感情の高まりや緊張と緩和、沈黙の間など、言葉では説明できない感覚こそが作品の本質であり、それを味わうには適切なテンポが必要です。
アートを楽しむことは、心の余白を広げ、感性を磨くことでもあります。それは、効率とは真逆の価値。量ではなく質にこだわる。気に入った作品をじっくりと味わうことが重要です。だからこそ、ここにはあえて時間をかけることで、自分の中に豊かさが生まれるのだと思います。
タイパを考えてはいけない4つ目の場面は、子育てや子どもと過ごす時間です。
正直言って、子育てほどタイパの悪い活動はありません。話は進まないし、何度も同じことを繰り返すし、常に時間に追われている感覚がある。生産性という観点で見ると、非常に非効率です。
しかし、だからこそ、そこに人間らしさがあります。子どもとの時間は、「手間」や「繰り返し」の中にこそ大切な価値があるのです。そして、最初の「人との関わり・雑談」と同様に、ここでも重要なのが「一緒に過ごした時間」が関係性を築く土台になるという点です。
子どもは言葉以上に、どれだけ一緒にいてくれたか、どれだけ真剣に向き合ってくれたかを敏感に感じ取っています。大人の都合でタイパを優先しすぎてしまうと、後になってから「もっと関わっておけばよかった」と後悔することになるかもしれません。
だからこそ、ここは意識して「時間をかける」覚悟が必要です。その分、他の領域でタイパを上げて、時間をつくるという発想に切り替える方が建設的です。
最後となる、タイパを考えてはいけない5つ目の場面は、自分自身と向き合う時間です。
多くの人が、日々の忙しさの中で自分の内面を見つめる時間を後回しにしてしまいがちです。しかし実はこここそが、最も大切な投資対象なのです。
たとえば1日15分でも良いので、日記をつけたり、自分の将来について考えたりする時間を設けてみてください。それだけで、自分の軸が明確になり、行動にも一貫性が生まれ、迷いが少なくなっていきます。
このプロセスにおいて重要なのは、「正解がないことに向き合う」ことです。仕事のようにゴールがはっきりしている場面では、タイパを意識しても良いでしょう。しかし、人生や自己理解のようなテーマでは、むしろ時間をかけることでしか得られない納得感があります。
以前、「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念についてもご紹介しましたが、まさにその力が求められるのが、自分自身を見つめる時間なのです。
人生の節目やキャリアチェンジのタイミングでも、日常のどこかでも、静かに内省する時間を持つこと。それが、自己信頼感や自己肯定感にもつながっていくのです。
今回ご紹介した5つの場面、すなわち「人との会話・雑談」「読書」「芸術体験」「子どもとの時間」「自分自身と向き合う時間」には、タイパを持ち込むべきではありません。むしろ、あえて時間をかけることでこそ得られる価値があります。
重要なのは、「タイパを意識すべき領域」と「意識してはいけない領域」をきちんと見極めることです。明確なゴールがあり、合理的に処理できる場面ではタイパを追求する。一方で、感情や関係性、自己理解などの「答えのない領域」では、時間を投資する覚悟が求められます。
このようにメリハリをつけることで、タイパの利点を活かしつつ、人生の豊かさを損なわない、バランスの取れた時間の使い方ができるようになります。
ぜひ、あなたの毎日の時間の使い方を見直し、「ここは効率化していい」「ここはじっくり向き合おう」と選び分けることで、より充実した仕事と生活を実現していってください。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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