時間管理
2025.8.25
目次
時間という概念は、私たちが思っている以上に古くから存在しています。驚くべきことに、その起源は今から約5000年前、紀元前3000年頃の古代エジプトまでさかのぼります。この時代にはすでに「1年は365日」という考え方が確立されており、現代の暦の基本形が出来上がっていたのです。
人類は狩猟採集から農耕へと生活様式を移す過程で、季節や天候の変化を把握する必要がありました。春に種をまき、夏に世話をし、秋に収穫するためには、自然のサイクルを正確に読み取らなければなりません。
そこで人々は太陽の動きを観察し、日照時間の長い日と短い日があることを発見しました。こうして1年の長さを把握する試みが始まり、やがて365日という周期が見えてきたのです。
しかし観測を続けるうちに、計算のズレが生じることも分かりました。そのズレを修正するため、4年に1度「うるう日」を挿入する仕組みが考案され、時間の正確さを保つ工夫が行われるようになったのです。ただし、当時は天動説が信じられており、太陽が地球を回っていると考えられていました。
太陽の動きだけでは辻褄が合わない部分が出てきたため、太陽の動きと月の満ち欠けを組み合わせた「太陰太陽暦」のような暦法が用いられていました。
さらに時が流れ、紀元前1000年頃になると、「1日を24時間に分ける」という発想が誕生します。日陰の移動を利用する日時計や、大きな公園に設置された影を使った計測方法など、人々は影の長さや位置を見て時刻を判断していました。日没の予測や正午の把握も、このような原始的な時計から始まったのです。
やがて時間は、暦や時刻の単なる区切りではなく、哲学的・学術的な探究の対象となっていきます。その先駆けとなったのが、紀元前300年頃のアリストテレスです。彼は「時間を数値化する」という画期的な試みを行いました。
これはゼノンのパラドックスに触発されたもので、「矢が飛ぶ様子を瞬間ごとに切り取れば止まって見える」というゼノンの考えに対し、アリストテレスは「運動の回数で時間を測れる」と反論しました。
例えば、矢を軽く投げた場合と、強く投げた場合では、着地までに数える数が異なります。この数の違いこそが「時間の長さの違い」を示している、とアリストテレスは説明したのです。これは「飛ぶ矢のパラドクス」と呼ばれ、時間を計測可能なものとして捉える、最初の大きな転換点となりました。
さらに1000年後、ガリレオ・ガリレイが振り子の特性に注目します。振り子は片方に振れて戻り、反対側に振れて戻るという動作を繰り返しますが、この往復にかかる時間が常に一定であることを発見しました。この性質を「等時性」と呼び、これにより正確な時計の製作が可能となったのです。
ガリレオの発見は、時間が常に一定の速度で流れるという考え方を強化しました。その後ニュートンは、この考えをさらに発展させ、「時間は地球上でも宇宙でも変わらず一定で流れる」という「絶対時間」の概念を提唱します。これは長らく常識として受け入れられてきましたが、20世紀に入ってアインシュタインがこれを覆します。
アインシュタインは特殊相対性理論の中で、「物理法則の中で唯一絶対なのは光の速度である」と主張しました。光の速度は1秒間に約30万kmで、これはどの観測者から見ても変わりません。そしてあらゆる物理現象は、この光速との相対的な関係で説明できるとしたのです。
彼が導き出した重要な結論のひとつが、「時間とは相対的な感覚である」という考え方です。1秒という長さは、状況によって長くも短くも感じられます。例えば仕事で忙しいときに「1秒だけ締め切りを延ばす」と言われても何の助けにもなりませんが、陸上競技の100メートル走の決勝戦で特定の選手だけが1秒先にスタートできるとすれば、その差は絶対的な優位となります。
同じように、退屈な会議の1時間は果てしなく長く感じる一方で、夢中になってゲームをしている1時間は一瞬で過ぎ去ります。このように、時間の感じ方は状況や心理状態に大きく左右されるのです。まさに時間は「相対的」なのです。
私たちは日常的に「時間がない」と口にしますが、この言葉が示す状態もまた相対的です。
例えば、朝9時から夕方17時まで勤務する人がいて、その間にやるべきことが少なければ「暇だ」と感じます。逆に同じ労働時間内にやることが山積みで、こなすのに精一杯な状態になると「時間がない」と感じるのです。つまり「時間がない」とは、持っている時間に対してタスク量が多すぎる状態を指しているに過ぎません。
この時間不足に対して、過去の人々はどう解決してきたのでしょうか。高度経済成長期から1980年代にかけて、日本企業は「働く時間を増やす」という単純かつ力技の方法で乗り切っていました。いわゆる「24時間戦えますか」の時代で、企業戦士たちは夜遅くまで会社に残り、体力と気力を使い果たすまで働くことが美徳とされていたのです。
当時は土曜日も普通に出勤日で、日曜日だけが休みという生活が一般的でした。それでも1960〜70年代は、今よりも睡眠時間が確保されていたとも言われます。しかし経済がピークを迎えた80年代後半になると、終身雇用や年功序列が最盛期を迎え、「いかに遅くまで会社に残るか」で競い合う奇妙なカルチャーが生まれました。
意外かもしれませんが、フルタイムの正社員に限ってみると、最も長く働いていたのは2000年代だと言われています。バブル崩壊後、企業は正社員の採用を絞り、代わりに派遣や契約社員など非正規雇用を増やしました。
しかし非正規社員を長時間働かせれば、残業代や割増賃金を支払わなければなりません。それを避けるため、非正規社員には早めに帰ってもらい、その分の仕事を正社員が肩代わりする構造ができあがりました。結果として、正社員の労働時間はサービス残業も含めて膨れ上がり、過労死や過労自殺、メンタル不調が急増していったのです。
私自身も当時、時間外申請が120時間や130時間に達するような働き方を経験しました。当時はそれが珍しいことではなく、多くの人が同じ状況に置かれていました。こうした異常な長時間労働にストップをかけたのが、いわゆる「働き方改革」です。
2019年に施行された「働き方改革関連法」によって、残業時間の上限が「月45時間、年間360時間(特別条項付きでも年間720時間)」と厳格に規制されました。ただし、建設業や運輸業といった一部業種は5年間の猶予期間が与えられ、その期限が2024年に切れました。これが、いわゆる「2024年問題」です。これにより、全業種で残業時間の上限規制が適用されることになりました。
残業時間を減らせば、当然ながら労働時間は短くなります。しかし、やるべき仕事の量が変わらなければ、時間不足は深刻化します。となれば、解決策は限られた時間内で効率よくタスクをこなすこと、つまり「行動の選択と集中」しかありません。
ここで重要なのは、「時間そのものはコントロールできない」という事実です。私たちは1日を48時間に延ばすことも、時間を止めることもできません。できるのは、与えられた時間の中で何をするか、何をしないかを選び取ることだけです。
この考え方から導かれる結論は明快です。時間管理とは、すなわち「行動管理」なのです。限られた時間をどう使うか、どのタスクを優先するか、どれを後回しにするかを明確にするということが重要になります。
時間とは相対的であり、「時間がない」とは労働時間と仕事量の相対的な関係によって作り出された状態です。労働時間を伸ばすという選択肢が取れなくなった現代では、できることは「仕事を減らす」ことに他なりません。
すべての仕事に時間を十分にかけるのではなく、仕事の目的や重要性を見極めて、時間をかけるべきところにはかける、かける必要のないところにはかけないというメリハリをつけて、限られた時間の中で効果的、効率的に仕事を進めていくスキルが求められるのです。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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