リーダーシップ
2025.12.4

目次
リーダーシップの理論に「取引理論」と呼ばれる考え方があります。これは、リーダーとメンバーの関係を「心理的な取引」としてとらえる理論です。
リーダーはメンバーに対して仕事を与え、その仕事を進めるために必要な権限を渡します。そして、メンバーがその仕事をどのくらいの成果で終えたかを見て、「よくやった」と判断すれば評価や報酬を与え、「期待に届かなかった」と判断すれば評価を下げる、という形でやり取りが行われています。
一方で、メンバー側もリーダーをよく見ています。「この人は自分にどんな仕事を与えてくれるのか」「自分の頑張りをちゃんと見て評価してくれるのか」という視点で、日常のやり取りを通してリーダーを評価しているのです。自分の期待に沿った仕事を任せてくれたり、公平に評価してくれるリーダーであれば、「この人のために頑張ろう」と感じ、自然と好意的な気持ちや信頼が生まれてきます。
逆に、「なぜ自分だけこんな仕事ばかりなのか」「こんなに頑張っているのにどうして評価が低いのか」といった不満が積もってしまうと、メンバーはリーダーに不信感を抱くようになります。
そうなると、「どうせ頑張っても見てくれない」とふてくされ、徐々に仕事への意欲が下がり、成果も出なくなっていきます。このように、リーダーとメンバーの間で起きていることは、一種の交換関係であり、その質によって仕事のパフォーマンスが変わってくるというのが取引理論の考え方です。
リーダーが期待する成果をメンバーが発揮すること、そしてメンバーの努力をリーダーがきちんと認めて評価すること。この両方がうまくかみ合うと、業績やモチベーション、組織へのコミットメント(組織への帰属意識・没入感)はプラスの方向に高まっていきます。
反対に、この取引がうまくいかないと、負のスパイラルに陥ってしまうのです。

では、この関係はどこでつまずいてしまうのでしょうか。多くの場合、最初のボタンの掛け違いは、リーダーが一方的に自分の考えを押し付け、メンバーの話を聞かないところから始まります。相手の立場や感情に配慮せず、「この通りやれ」「言われた通りにやれ」と命令だけを繰り返していると、「あなたの言うことなんて聞きたくありません」という気持ちがメンバー側に生まれてしまいます。
メンバーが「はいはい。わかりましたよ。言われた通りやっておけばいいんですよね」と表面だけ従うような状態になってしまうと、本音の部分ではリーダーへの不信や諦めが蓄積していきます。リーダーにはリーダーなりの考えや事情がありますが、それを一方的に押し付けるだけでは、相互理解は深まりません。大切なのは、お互いが何を考えているのか、率直に共有していくことです。
ここで重要になってくるのが「パーソナル・コミュニケーション(1対1の会話)」です。メンバーは「この人は自分をどう評価しているのか」「自分をどう見ているのか」が分からないと、不安になります。一方で、リーダーも「自分の意図をちゃんと理解してほしい」「なぜこの仕事を任せているのか分かってほしい」と感じています。
だからこそ、日頃から1対1で対話を重ね、「なぜこの仕事をお願いしているのか」「あなたのどこを評価しているのか」「今後どう成長してほしいのか」といったことをお互いに伝え合うことが大切になります。こうして心理的な取引を良い方向に回していくことができると、「仕事を任せる幅」を広げていく土台が整っていくのです。
そして、この心理的取引を有効に進める上で重要なキーワードが「エンパワーメント」です。エンパワーメント(empowermen)という言葉を分解すると「em(授ける)」+「power(力)」+「-ment(名詞化)」となります。直訳すると「力を授けること」です。
日本語では「権限委譲」と訳されることが多いのですが、実際には権限だけを渡すわけではありません。メンバーが仕事をうまく進めるためには、単に「やっていい権限」だけでは不十分です。仕事に必要な情報、支援体制、人脈、使っていい予算やツールなど、さまざまな資源が複合的に与えられている必要があります。
エンパワーメントとは、リーダーが自分の持っている仕事を、メンバーが自分と同じようにできるようになるまで、全面的にバックアップしていくプロセスだと言えます。逐一報告を受けたり、ちょっとしたことでもリーダーが前面に出ないと問題が解決しないような組織では、環境変化のスピードについていけません。
だからこそ、現代の組織では、メンバーそれぞれが自分の頭で考え、自分の判断で動ける状態を目指すことが大事になります。そのために、必要な権限と資源をセットで渡し、「この仕事はあなたに任せる」と委ねていくのがエンパワーメントです。ゴールは、リーダーが細かく指示を出さなくても、現場で自律的に問題解決が進むようになることだと言えます。

エンパワーメントを進めるときに留意が必要なのが、「責任と裁量はセットである」という考え方です。ここが崩れると、メンバーはあっという間に不満を募らせ、「こんな仕事はやりたくない」と感じてしまいます。典型的な悪い例は、「責任は重いのに、裁量がない仕事」を任せてしまうことです。
例えば、「このプロジェクトの結果に責任を持て」と言いながら、必要な予算は認めない、メンバーを自由にアサインする権限もない、外部の協力も勝手には頼めない、といった状況を想像してみてください。権限はほとんどなく、失敗したときの責任だけは重くのしかかる。そんな状態では、誰だって本気で取り組もうとは思えませんし、「だったら最初から自分でやってください」と言いたくもなります。
本来、責任の範囲を広げるのであれば、それに見合った裁量も広げていかなければなりません。「この範囲までは自分で判断していい」「この金額までは自分の裁量で使っていい」といった形で、できることの幅をきちんとセットで増やしていく必要があります。これが、いわゆる「支援型アプローチ」であり、資源を供給しながら任せる範囲を広げていくという考え方です。
こうした支援を通じて、メンバーが自分の力で仕事を回せるようになっていけば、リーダーはだんだんと現場の細かい業務から離れ、より上位の仕事に集中することができます。エンパワーメントは、単に部下を楽に使うための仕組みではなく、組織全体の生産性とスピードを高めるための重要な戦略でもあるのです。
エンパワーメントが特に重要になっている背景には、現代のビジネス環境の変化があります。ドラマ「踊る大捜査線」の名台詞、「事件は現場で起きている」という言葉はまさにその通りで、問題もチャンスも、まず最初に現れるのは現場です。そのたびに「一度上に持ち帰って検討します」と言っていたのでは、スピード感が求められる今の時代には対応しきれません。
情報処理のスピードがどんどん上がり、競合も増え、変化のサイクルが短くなっている中で、「上が決めて、下が動く」という昔ながらのスタイルでは限界があります。だからこそ、現場が自律的に判断し、その場で最適な行動を取れるような体制が求められるのです。
しかし、現場に任せるといっても、何の育成も支援もなく「好きにやっていいよ」と放り出してしまうのは、単なる丸投げです。現場が自分の意思で動けるようになるまでには、スキル面の育成も必要ですし、倫理観や価値観の共有も欠かせません。だからこそ、エンパワーメントにはオーセンティック・リーダーシップのような、信頼に基づいた関わり方もセットで必要になってきます。
現場が自分の頭で考え、組織の理念に沿った判断をしながら動けるようにすること。これが、現代流のリーダーシップであり、エンパワーメントの本質なのです。

ここまで聞くと、多くの管理職の方が「理屈は分かるけれど、現実はそんなに簡単じゃない」と感じることでしょう。実際、エンパワーメントを進める上で最大の壁は、「自分がやった方が早い」という強烈な誘惑です。
多くの管理職は、もともと現場で優秀だった人が昇格してそのポジションに就いています。いわばスター選手が監督になったようなものです。現場の仕事は誰よりもできるし、実務経験も豊富ですから、「だったら自分でやった方が早いし、確実だ」と思ってしまうのは、ある意味で自然なことです。
しかし、ここで役割を切り替えられないと、いつまでも「名選手のまま」で終わってしまいます。サッカーで例えるなら、かつての名プレイヤーが監督になったのに、試合中にチームが劣勢になると「もう見ていられない」とジャケットを脱いでピッチに飛び出してしまうようなものです。本来、監督はピッチの外で全体を見て判断しなければならない立場なのに、自分がプレーしてしまっては、監督としての役割が果たせません。
現実の仕事でも同じことが起きます。部下の仕事が滞ってくると、「このままだとお客様に迷惑がかかる」「納期に間に合わない」「なんで言った通りにやらないんだ」と焦りが募り、つい「もういい、俺がやる」となってしまうのです。私自身も何度もこうした失敗をしてきましたし、それを乗り越えるには相当の忍耐が必要だと感じています。
とはいえ、自分が動けてしまうからこそ、余計にこの誘惑は強くなります。だからこそ、エンパワーメントを実践するには、「自分がやる」ではなく「どうやったら任せられるか」という発想に意識的に切り替えていくことが大切になってきます。
とはいえ、気合と根性だけで「任せよう」と思ってもうまくいきません。そこで役立つのが、自分の仕事を一度棚卸しして整理することです。例えば、「権限が必要かどうか」「スキルや経験が必要かどうか」という二つの軸で仕事を分類する方法があります。
まず、自分が担当している仕事を書き出し、それぞれについて「これは権限がなければできない仕事か」「高度なスキルや経験が必要な仕事か」を考えてみます。すると、自分でやるべき仕事と、部下に渡していける仕事の境界が見えてきます。権限もスキルも必要な仕事は、当面は自分が担うしかないわけですから、無理にエンパワーメントする必要はありません。
一方で、「スキルや経験は必要だけれど、権限がなくてもできる仕事」があります。この種の仕事は、本当は部下に渡していきたいものの、「失敗するのが目に見えている」「失敗されたら後始末をするのは自分だ」と感じるために、なかなか任せられない領域です。
ですが、ここを任せない限り、部下はいつまで経ってもスキルを身につけることができません。失敗しても一緒に挽回すればいいと割り切り、まずはこの領域の仕事から渡していくことが望まれます。
また、「権限は必要だが、スキルや経験はそれほど要らない仕事」もあります。この場合は、単に「やっていいよ」と言うだけでは不十分で、社内の関係者にきちんと根回しをし、「この仕事は〇〇さんにやってもらうことにしました」と周囲に説明しておく必要があります。
そうして正式に権限を移したうえで任せれば、それは文字通りの権限委譲になりますし、部下もその仕事を通じて新しい役割にふさわしい経験を積んでいくことができます。
さらに、「権限もスキルもほとんど必要ない仕事」も出てきます。ここはそもそも「人間がやるべきかどうか」を疑ってよい領域です。最近ではAIや自動化ツールも普及していますから、単純な作業はシステムに任せてしまうという選択肢もありますし、逆に部下にAIを使わせてスキル部分を補う、というやり方も考えられます。
いずれにしても、仕事をこのように分類してみるだけでも、「全部自分でやった方が早い」という思い込みにブレーキをかけることができるのです。

仕事を部下に任せるとき、いきなり「じゃあこれ全部やって」と丸ごと渡してしまうのは乱暴です。任せる側としてはスッキリしますが、任された側からすると「どうしていいのか分からない」「失敗するイメージしか湧かない」という状態になることが多いからです。ここで重要になるのが「モデリング(見本を見せること)」です。
私は、イメージの力がモチベーション以上に重要だと考えています。平均台をイメージしてみてください。床から少し高い位置に平均台が置かれていて、「ここを落ちずに渡れたら1億円あげる」と言われたら、多くの人は挑戦するはずです。なぜなら「自分にもできそうだ」という成功イメージを持てるからです。
ところが、超高層ビルの屋上同士を平均台でつなぎ、「ここを渡れたら1億円」と言われたらどうでしょうか。いくらお金が欲しくても、多くの人は一歩目が踏み出せないはずです。頭の中に浮かぶのは「落ちるイメージ」であり、「うまくいくイメージ」が湧かないからです。これがイメージの持つ力です。できるイメージがなければ、人は挑戦に踏み出せないのです。
仕事の委任も同じです。本人の中に「自分がうまくやっている姿」のイメージがなければ、「はい、やってみて」といきなり任せるのは、実質的には「できないことをやらせて失敗させる」いじめに近いものになってしまいます。だからこそ、まずはリーダーが実際にやってみせる、つまりモデリングが必要になるのです。
私は、パートナー講師を育成するときにも、このモデリングと段階的委任を組み合わせています。例えば、自分が担当している1日7時間の研修講座があるとします。このすべてをいきなりパートナーに任せてしまうのは、正直言って無茶です。現場経験がない状態で丸一日分の講義と演習を任されても、本人は不安しかなく、参加者にも迷惑をかけかねません。
そこで、最初の一歩として「まずは見てもらう」ところから始めます。実際、私はパートナーたちに1日研修を見学させ、「こういう流れでやっている」「こんなふうに場を回している」という全体像を体感してもらいました。これがモデリングのステップです。
そのうえで、次の段階として「部分的な委任」を行います。たとえば1日7時間のうち、ある1パートだけを任せてみるのです。場の立ち上げや雰囲気づくりは私が行い、途中の一部分だけをパートナーに担当してもらう。そして最後の締めはまた私が行う、という形にすれば、全体としてのクオリティは保ちながら、本人にも実践の機会を提供できます。
このように、いきなり0か100かではなく、「まずは一部だけ」「次は半日」「最終的に丸一日」と、少しずつ担当範囲を広げていくことが大切です。やってもらった後には「どうだった?」「どこがやりづらかった?」「どこが怖かった?」といった振り返りの対話を行い、本人の中での「できた」という感覚や、自分なりの工夫の手応えを強めていきます。これが、エンパワーメントにおける非常に重要なプロセスになります。
エンパワーメントでは、「任せる」と「丸投げ」をきちんと区別する必要があります。その違いは、リーダー側がどこまで環境を整え、どれだけ支援やフィードバックをしているかに表れます。
私の仕事でいえば、例えば研修を任せるときには、いきなり「全部やっておいて」とは言いません。まずは会場のレイアウトを整え、必要な備品を揃え、テキストも準備した状態にしておきます。つまり、パートナーは「話すこと」に集中できるようにしておくわけです。そこから少しずつ、事前準備やアフターフォローといった部分を渡していき、最終的には一からすべて担えるように育てていくのです。
また、新しい仕事を任せるときには、過去の資料や事例も渡します。「はい、ゼロから全部考えてね」と、なんの材料もない状態で投げることはしません。材料があることでイメージも湧きやすくなりますし、「自分なりにアレンジしていいんだ」と感じてもらうこともできます。この準備をせずに丸ごと投げてしまうと、それは単なる丸投げであり、エンパワーメントとは言えません。
全面的に任せる段階に到達したとしても、「あとは好きにやって、報告もいらない」という姿勢になってしまうのは危険です。任せた後も、定期的に対話や振り返りの場を持ち、困っていることがないか、方向性がずれていないかを確認していく必要があります。丸投げと委任の違いは、この「準備」と「フォロー」の有無にあると言ってもいいでしょう。

エンパワーメントの最後のステップとして重要なのが、「言語的支援」としての振り返りとコーチングです。仕事を任せてやってもらった後、そのまま放置してしまうと、本人の中での学びが整理されないままになってしまいます。
多くの場合、初めての仕事を終えたメンバーに「どうだった?」と聞いても、「いやあ、うまくいったのかどうか、よく分かりません」「精一杯で、何が何だかという感じでした」といった答えが返ってきます。ここで、リーダーが「じゃあ次も頼むね」とだけ言ってしまうと、振り返りの機会が失われ、成長のスピードが鈍ってしまいます。
だからこそ、コーチングのスキルが必要になります。「どの場面が一番やりづらかった?」「うまくいったと思えるところは?」「次に同じことをやるとしたら、どこを変えたい?」といった質問を通して、本人の内省を促していきます。このプロセスを繰り返すことで、「こうすればもっとよくできる」「ここは自信を持っていい」という感覚が育ち、「大丈夫、次もやれそうだ」という自己効力感が高まっていきます。
そして、本人が「もう行けそうです」「次はもっとこうしたいです」と自分から言えるようになったタイミングで、任せる範囲や難易度を一段引き上げていきます。これが、メンバーの成熟度に合わせてリーダーシップを変えていく、という考え方とつながってきます。仕事の渡し方そのものが、状況適合型リーダーシップの実践になっているのです。
ここまで見てきたように、エンパワーメントは単に仕事を振ることではなく、「任せることで育てていく」長期的なプロセスです。心理的な取引関係を整え、責任と裁量のバランスを意識しながら、仕事の棚卸しを行い、任せられる領域から少しずつ委ねていく。
そして、モデリング・部分的な委任・振り返りとコーチングというステップを踏みながら、メンバーが自分の力で仕事を回せるようになるまで支援していきます。
エンパワーメントの本当のゴールは、「自分がいなくても回るチーム」をつくることです。そのためには、「自分がやった方が早い」という誘惑に打ち勝ち、プレーヤーからマネージャーへの意識転換を図ることが欠かせません。
メンバーに力を授けることで、自分自身もより高いレベルの仕事に集中できるようになります。エンパワーメントは、部下のためだけでなく、リーダー自身の成長、そして組織全体の成長のための重要なアプローチなのです。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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