自分の名前に誇りを持つ

前回の投稿から約2ヶ月が経ちました。

ありがたいことに仕事はとても順調で、毎月10日以上の講演会やセミナー、研修で各地を転々と回る日々を過ごしています。

クライエント様の幅も広がっており、建設業や共同組合、百貨店、服飾など、昨年まではご縁のなかった業界のお仕事も担当する機会が増え、お仕事を重ねるごとにいろいろなことを学ばせていただいております。

私生活では、先々週に娘が産まれました。40歳を前にして新しい人生をスタートさせた思いです。

なにかとバタバタした日々を過ごしておりましたが、ようやく一息つく余裕ができ、久々にこうして筆をとっております。

優しさなき力ほど、恐ろしいものはない

この2ヶ月の間に、世間ではいろいろな事件が起きました。

中でも、学生アメフトの悪質タックルをめぐる問題は、人材育成を主業務のひとつとしている私にとっては、とても印象深い事件のひとつです。

三者の記者会見を見て、「人としてどうあるべきか」を考えさせられた方も少なくないのではないでしょうか。

また、先日起きた新幹線での殺傷事件。月の半分くらいを新幹線で移動している私にとっては、決して他人事ではなく、「すぐ隣にある危機」として恐怖を覚えました。

 

私の仕事は、企業や組織の成長と成功を支援することです。

そして、その手段として時に調査や分析、制度設計などを行うことがありますが、実務の大半は企業研修をはじめとする人材育成です。

従業員様や職員様のパフォーマンス向上にむけて、知識や技術の習得をご支援しております。

しかし、どれだけ高い知識や技術を身につけて能力を向上させたとしても、正しい使い方ができなければ、人々に損失を与えることになってしまいます。

どれだけ能力が優れていたとしても、一人の生身の人間であることには変わりはなく、心ない人間の悪意によって、簡単にすべてを失ってしまうこともあります。

 

日々の仕事、生活を送る上で能力の向上は大切です。

どれだけ想いがあったとしても、現実に問題解決を図り、物事を動かしていく力がなければ、人や社会に役立つ存在にはなれません。

力なき優しさでは、具体的に誰かの役に立つような何かを行うことは難しいです。

一方で、優しさなき力は、非常に恐ろしいものです。

とりわけ個人の発信力が強くなった現代においては、上記のような特異な事件でなくとも、「普通の人」が簡単に他人の人生を狂わせ、破壊することが可能になってしまったとも言えるでしょう。

 

「愛と豊かさに満ちた社会」

これは、私がいまの仕事をはじめた時に掲げたビジョンです。

娘が産まれたことで、人々が安心で幸せに暮らせる社会であって欲しいという想いは、一層強くなりました。

そのためには、社会に生きる誰しもが、「優しさのある力」を持っていることが必要です。

言葉を換えれば、人には「能力」と「人間力」の両方が必要なのです。

自分の名前に誇りを持つ

「人間力」とは何か。

3年ほど前に、このブログでも人間力について書いたことがあります。

人間力は、感謝、誠実、謙虚、知性、気品、自律、個性、夢、健康によって構成される。

この考え方自体は今でもあまり変わってはいませんが、人間力はこれだけでは言い表すことのできない、非常に深い概念です。

 

能力だけではなく高い人間力を養うことが、すべての人々になお求められると考えるようになった私は、講演や講義の中でもしばしば人間力について言及する場面が、無意識のうちに増えてきたように思います。

しかし、この何とも説明のしがたい、奥深い人間力の概念をどのように伝えたら良いか。

試行錯誤を重ねておりましたが、ある講座の中でふと思いついた説明がとてもしっくりきたので、今回はそれをご紹介しようと思います。

それは、「自分の名前に誇りを持って生きること」です。

 

物事の本質を理解するためには、それとは逆の存在と対比することが効果的です。

人間力を定義することが難しいならば、人間力のない人をイメージして、その逆だと言えば良いとうことです。

そして、人間力のない人を思い描いていった結果、それらに共通していたのは「自分の名前に泥を塗る」「自分の名前を貶める」ような言動をしているということでした。

 

悪質タックルの問題に関して言えば、双方の大学ともに記者会見を行っていましたが、一方は会見を通じてその名前が尊ばれるようになり、もう一方は会見のたびに自身や大学の名前に泥を塗り続けています。

事件の当事者となった学生は、当初は自分の名前に傷をつける行為をしたものの、勇気をもった記者会見を通じて、自分の名前の名誉に一定の回復を見せています。

新幹線事件について言えば、犯人の名前は犯罪者として永遠に法廷記録に残り続けることになります。

他にも、未成年飲酒や猥褻行為で注目を浴びた芸能人や、文書偽装やハラスメントなどで世間を賑わせている政治家もいます。

彼らは自らの行いによって、自分の名前に泥を塗っているのです。

自分の名前に恥じない生き方をする

そう考えると、人間力とは非常に深い概念ではありますが、「自分の名前を尊び、自分の名前に誇りを持った生き方をする」ことだと言うことができます。

信頼を築くには多大な時間がかかります。失うのは一瞬の出来事です。

自分の名前に恥じないような仕事や私生活を送り、自分の名前に恥じない人間関係を築くことが、人間力を高めるのです。

そうは言っても、人は決して完璧ではありません。時には過ちを犯してしまうことがあるかもしれません。それでも、生きている限り、このような生き方を追い求める姿勢が大事ではないかと思います。

誰もが安心して暮らすことのできる社会を目指し、その一構成員として、私も自分の名前を尊ぶ生き方をしていきたいと思います。

 

本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

  

投稿者プロフィール

小松 茂樹
中小企業診断士・キャリアコンサルタント。株式会社ビジネスキャリア・コンサルティング代表取締役。人材派遣会社、健康食品会社を経て、経営コンサルタントに転身。営業力強化・業務改善・生産性向上・ビジネススキル向上など幅広い範囲で、業績向上や人材育成の支援を行っている。理論的な背景と情熱的な語り口を交えた講演スタイルに定評があり、セミナーや研修で高い支持を得ている。

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