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2015.11.20
本編の前に、まずは告知です。
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それでは本編へ。
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物事には必ず意味があります。なぜならば、意味は自分の主観や価値観に基づいて付与されるからです。
意味があると思ってその事象を見れば、必ずそこには意味が現れます。
そして、その意味が自分を成長させるものになるか、引きずる過去になるかは「質問の質」によって決まってきます。
あなたの身に何かイヤなこと、ショックなことが起きたとします。
誰でも自分にとって不都合な出来事が起これば、「辛い」「苦しい」「悔しい」といった感情が芽生えるものです。
そうした感情を抱くこと自体には何の問題もありません。当然のことだとも言えるでしょう。
むしろ、思うがままに感情を発散させた方が良いとも言えます。
感情を認めずに封じ込めようとすると、かえって長期にわたってあなたを苦しめることになってしまいます。
しかし、その後が肝心です。
気持ちが落ち着いた後、あなたがその出来事をどう捉えるかによって、
・それが単なる苦い経験のまま残るのか
・次のステージに向かう成長の糧になるのか
が大きく変わってきます。
それを左右するのが「質問」です。
その出来事について、自分自身にどのような質問をするかが、経験として活かされるか否かの違いを生み出すのです。
自分にとって好ましくない出来事が起きた時、
「なぜ、こんなことになってしまったのだろう」
という台詞を口にすることはありませんか。
一見すると、これも出来事を経験として活かすための質問のように見えます。
しかし、これは良い質問とは言えません。というより、場合によっては質問にすらなっていないこともあります。
質問とは、
「わからないところや疑わしい点について問いただすこと。また、その内容。」
のことです。
なぜその状況が引き起こされてしまったのかという理由が本当に分からない場合は、これは「質問」と呼べるかもしれません。
しかし、私たちはしばしば、明らかに原因がわかっている場合(特に、自分自身が原因となっている場合)にも、
「なぜ、こんなことになってしまったのだろう」
と口にする時があります。
例えば、不注意でグラスを割ってしまった。寝坊して電車に乗り遅れてしまった。勉強不足でテストの点が悪かった、パソコンのファイルを保存し忘れて消してしまった・・・などです。
この場合、「なぜ」という言葉が用いられてはいますが、それは質問という用途で用いられていません。
これは「嘆き」です。
起きた状況を嘆いているだけであり、本当にそれが起きた原因を知りたいと思っているわけではありません。
突き詰めれば、自分にも非があることにたどり着いてしまう恐れがあるからです。
どうして「なぜ」という言葉を使うかというと、嘆きや後悔のあまり「自分自身が状況を引き起こした」ことを受け入れることができず、
自分の外部に原因を求めたい気持ちが言葉となって表れる、一種の防衛機制(心の内外からの危険に対して防衛する心理的メカニズム)が働くからです。
時には、これが本当に質問として作用し、細かく原因を分析・追求することで、再発防止にむけた教訓となって活かされることもあるかもしれませんが、
その場合においても、この出来事は悪い記憶、イヤな記憶として残り続けることになります。
上司と部下の間にも「なぜ、こんなことになったんだ!」という会話が見られることもあります。
たいていの場合、上司は原因はわかっています。原因が特定できなくても、この発言の意図は部下に反省を求めることであり、本当に原因を聞きたいのではありません。
「なぜ」は悔いる質問、嘆く質問です。
出来事を次に活かすのであれば、「なぜ」という質問はあまり効果的な言葉とは呼べません。
本当に学びとして経験を活かしていくならば「なぜ」よりも優れた、そして確実な質問の仕方があります。
それは、「なぜ(Why)」という原因・理由の言葉ではなく、
「何(What)」
で質問を投げかけることです。
「この出来事の教訓は何か?」
「この出来事は、私に何を教えてくれようとしているのか?」
「これを乗り越えることで、私が成長できる部分は何か?」
これは、すべて「質問」として成立しています。
たとえ、状況を自分が引き起こしたものであったとしても、これから得るものを対象としている限り、質問に対する答えは明白ではないからです。
これらの質問の特徴は、すべて自分自身に目を向けていることです。何かを自分の外に求めようとしていません。
加えて、「その経験から何かを学ぶ」という前提に基づいた質問になっています。そして、その答えは自分の主観や価値観に基づいて、好きなように作ることができるのです。
どんな答えが導き出されるにしても、その答えは必ず、自分にとって何かしらの収穫として捉えることができるものになります。
したがって、この質問を自分自身に問いかけるだけで、悪い出来事や状況はすべて「学ぶ経験」となるのです。「成長する経験」と呼ぶこともできます。
成功した経験は、素直に喜べばいいです。
良くなかった経験は、「何」を問いかけることによって、すべて「成長する経験」に変えてしまいましょう。
そうすると、人生には成功と成長しかないことになります。
これほど自分のことを肯定できる人生が他にあるでしょうか。
私がお客様からキャリアの相談をいただく際、多くの場合、ライフラインチャート(自分史)を作っていただきます。
そして、「失敗体験」として挙げられている出来事に、「なぜ」ではなく「何」を投げかけていただきます。
こうして、過去にあった出来事の意味が少しずつ変化していきます。
次第に、今までの人生には成功か成長のいずれかの経験しかなくなっていくのです。
これが人生を豊かにする、一つの重要な考え方ではないかと、私は思います。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。