目標達成
2015.12.9
本日、37歳の誕生日を迎えました。
ここのところ本業が立て込んでいて、なかなか配信ができていなかったのですが、
こうして好きな仕事をして忙しいという状況は、大変にありがたく幸せなことだなと改めて思います。
私は12月生まれなので、年齢期間と年の期間がほぼ同じです。
1月~12月の西暦年と年齢をほぼ同一で扱えるので、年単位の計画を立てるときに便利です。
これは冬生まれの特権ですね(笑)
毎年この年末までの時期に、来年の計画をじっくり考えます。
今年も仕事の合間の気分転換がてら、少しずつ来年以降について考えはじめているのですが、改めて思うのが
「定期的に目的に立ち戻るべし」
ということです。
計画が走り出すと、行動することに集中してしまいがちです。
特に、私はこの傾向が強いです。
即断即決・即実行がモットーで、スピードが命なので、走りはじめたら前しか見られなくなります(笑)
計画通りに進んでいる時は良いのですが、環境や状況が想定と異なってくると、それに対応して計画を修正していく必要が生じます。
その際、常に「本来の目的」に立ち戻り、目的に照らし合わせながら修正を行う・・・というのがセオリーなのですが、
環境や状況に対応しているうちに、いつの間にか計画が本来の目的からそれてしまうことがあります。
行動に集中するあまり、行動そのものが目的化してしまうのです。
行動が目的と化してしまうと、環境や状況に対して反応的に物事を「片付けていく」ようになります。
目の前のことを片付けるのに夢中で、いつの間にか目的が何だったのかを考えなくなります。
そして、困ったことに、自分ではなかなかそれに気づきません。
対応していくことへの達成感に酔ってしまい、何のためにやっているのかを見失ってしまうからです。
これでは、自分が望むような人生を送ることは難しくなります。
かく言う私自身、妻と話をする中でそれに気づかせてもらうことが度々あります。
自分自身を客観視するのは容易ではありません。
能力の高低を問わず、常に正しい方向を向いているためには、チェッカーが必要です。
成功している人ほど、定期的にコーチングを受けていると耳にします。
自分の軌道修正をするということは、それほど難しいことだということです、
環境に対して反応していては、人生を望む方向に導くことはできません。
自分の目的と意思に基づいて、主体的な選択をしていく必要があります。
目先のことに夢中になると、誰でも反応的になってしまいがちです。
そうなった時に主体性を取り戻せるかどうかが、物事の達成・実現を左右します。
内省と他人の視点の両面から、定期的に自分をチェックすることが必要です。
そして、チェックの観点は「今やっていることは目的に直結しているかどうか」ということ。
やりたいことをやって生き、なりたい自分になるためには、常に本来の目的を見失わないことが大切です。
そして、そのために、しつこいくらい何度も、自分の目的・戦略・計画を見直すことが求められます。
これができてはじめて、目標が達成され、目的に近づいていくことができます。
また改めて記事にしたいと思いますが、私は「目標が達成しない原因」には大きく3つあると考えています。
1.本気度が低い
2.計画が稚拙
3.目標と行動が数値化されていない
つまり、本心から望んでいる目標は達成できないし、なんとなく目指している目標は達成できないということです。
心の底からわき出てくる自分の本当の願い・目的を見失うことなく、
実現に至るまでのプロセスを精緻に思い描き、
目標と現状の乖離を測定できるよう計画を設計することが、目標達成・願望実現のカギです。
これができたら、後は行動あるのみ。
目の前の一つひとつのことに集中していくのです。
先日テレビを見ていたら、ラグビー日本代表の五郎丸選手が
「(大切なことは)目の前のプレーに集中すること」
と言っているのを目にしました。
敬愛する林修先生も、「目の前のことに集中すること」が大事だと本の中で説かれています。
この言葉だけ捉えると、「先のことはあまり考えずに、目の前のことだけやっていれば良い」とも考えてしまいそうになりますが、それは真意ではないと私は考えます。
盲目的に目の前のことに取り組むのではなく、自分の長期的な目的・目標を見据え、目の前のことに意味づけを行う。
エネルギーは目の前のことに集中させるが、その脳裏には常に自分の目的・目標を据えておく。
そうすることで、目の前のことすべてを「目的達成へのチャンス」として捉えることができます。
それに全力で取り組んでいくことが、報われる努力となって、将来を切り拓いていくのです。
ないものを追い求めるのではなく、チャンスはどこにでもあるものだと考える。
一つひとつのことに、誠意をもって真剣に取り組む。
なりたい自分への道は、そうした人にこそ開かれるものだと、私は思います。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。