ブログ
2016.9.26
一週間の休暇をとり、ドイツに行ってきました。
今月に入り、仕事と私生活の両面でバタバタしてしまい、時間に追われるような日々を送っていましたが、
日常を離れて異国の景観や街並みを眺めている中で、心の平静を取り戻せた気がします。
ネットワークもつながらない。言葉も何を書いているかわからない。
他人とコミュニケーションを交わすだけでも一苦労。
そうした環境下に身を置きなおすと、日頃心を悩ませていたことの多くが、実に小さなこと、何とでもなることのように思えました。
今日から仕事再開。このブログも約1ヶ月ぶりの更新です。
思いきって長期間のリフレッシュを取ったことで、また今日から意欲的にいろいろなことに取り組んでいけそうです。
今月の初旬に、中学・高校時代の恩師が天国へ旅立たれました。
まだまだ現役のご年齢。突然の訃報に驚くとともに、闘病生活にあることを知っていたなら見舞いにも行くことができただろうにと、自らの連絡無精を悔いるばかりです。
同級生からこの連絡を受けた時、私は、自治体職員様向けのキャリアデザイン研修の準備中でした。
教材の確認や話材の準備を終え、最後に何を話そうかと考えていた矢先の訃報。
メッセージを転送し、他の同級生たちと数年ぶりの連絡を交わし、故人への想いをめぐらせる中で思い浮かんだのが、
If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
(もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか)
というフレーズでした。
故スティーブ・ジョブズが大学の講演で話したというこのフレーズを私は数年前に知り、
「さすが、ジョブズ。いいこと言うなぁ」と感心して、毎日読み返していたものでしたが、
いつの間にかすっかり忘れてしまっていました。
「今日が最期」と思えば、自分がやるべきことは自ずと見えてきます。
一見すると、すべてが今日やらなくてはならないことのように思えても、
実は多くのことはどうにでもなることであったり、そもそもやらなくても済むことであったりするものです。
逆説的ですが、いつでもできるからと先延ばしにしていることの中にこそ、本当は今日すべきであることが潜んでいたりします。
に焦点を当て、一日一日最善を尽くそうとするだけで、毎日がかけがえのない素晴らしい一日となることでしょう。
そして、毎日をどういう想いで生きているかどうかが、その人の人格と能力を形成していくのだと、私は考えます。
今日を「最期の日」だと思って過ごす。
自らも日々、実践していきたいと思います。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。