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マインド

2025.6.7

「お金を稼ぐことは正義である」民間企業で働くすべての人が持つべきマインドセット

お金を稼ぐことは正義である―新入社員研修で必ず伝える本質

5月も終わりを迎え、今年も多くの新入社員が社会人としての一歩を踏み出しました。私自身も、毎年この時期は新入社員研修に関わる機会が多くあります。その中で、必ずお話ししている大切なテーマがあります。今回は、その話をより深掘りしてお伝えしたいと思います。

これは新入社員の方々に限らず、実は後ろで静かに聞いているオブザーバー、つまり管理職や先輩社員の方々、さらには民間企業で働くすべての人に持っていてほしい「根本的な考え方」です。それは、「お金を稼ぐことは正義である」というシンプルかつ力強いマインドです。

もちろん、この考え方はあくまでも民間企業に当てはまるものであって、行政(官公庁や地方自治体など)には当てはまりません。行政というのは経済合理性だけで動いているわけではなく、そもそも「負担者=お金を払う人」と「受益者=その便益を受ける人」が分かれているのが特徴です。

たとえば税金を徴収し、そのお金で教育や介護、治安維持など、経済的な採算がとれなくても社会にとって必要不可欠な仕事をしているのが行政です。こうした分野では「お金を稼ぐ」ことだけを第一にすると本末転倒になってしまうため、この話は当てはまりません。

民間企業の本質は「価値の交換」にある

一方、民間企業の世界では、「負担者(お金を払う人)」と「受益者(便益を受ける人)」は原則としてイコールです。自分が何かの商品やサービスを提供して、その対価としてお金をいただく―これが民間企業の根本原理です。この前提に立つ限り、「お金を稼ぐこと」は正義であり、堂々と自信を持って良い行為なのです。

民間企業で働くということは、「お客様に価値を提供し、その対価としてお金をいただく」という価値の交換を日々実践することです。だからこそ、お金を稼ぐことに対して後ろめたさや引け目を感じる必要はありません。自分たちが誇りをもって作った商品やサービスを、真っすぐにお客様に提案し、納品し、堂々と請求書をお送りする―それがビジネスなのです。

なぜ「お金を稼ぐこと=悪いこと」と思ってしまうのか

そもそも、なぜこんな話をわざわざ新入社員に毎年伝えているのか?それは、「お金を稼ぐことは悪いことではないか」と無意識に思い込んでいる人が少なくないからです。実際、私がこれまで新入社員や若手社員と接してきた中でも、「お金の話をするのはいやらしい」「儲け話をするのはなんだか後ろめたい」という声をしばしば耳にします。

ですが、その考え方を持ったままでは、民間企業で「良い仕事」はできません。なぜなら、ビジネスの本質が「価値の交換」であり、正しい方法でお金を稼ぐことこそが社会への貢献だからです。だからまず、新入社員研修の最初に「お金を稼ぐことは正しいことだ」というマインドセットをしっかり持ってもらうようにしています。

「お金を稼ぐこと」に「良い・悪い」はない

ここで重要なのは、「お金を稼ぐこと自体」に良いも悪いもない、という事実です。問題は、どうやってお金を稼ぐのか―その「やり方」です。正しい方法でお金を稼ぐのは、まったく恥ずかしいことではありません。

逆に、悪い方法―つまり詐欺やだまし取り、相手を搾取するやり方でお金を稼ぐのは、当然「悪いこと」です。ですから、「お金を稼ぐことが悪い」のではなく、「悪い方法でお金を稼ぐことが悪い」だけなのです。民間企業の本質は、あくまで「価値の交換」にあります。

お客様が払うお金に見合った、もしくはそれを上回る価値や便益を提供する。それこそがビジネスの王道であり、正しい仕事のあり方なのです。

ビジネスは「顧客感動」を目指すもの

価値の交換とは具体的にどういうことでしょうか。たとえば、あなたが飲食店でランチを食べるとき、「この価格でこのサービス、この味なら満足だな」と思える―これが「顧客満足」の状態です。お客様が払った金額と、受け取るサービスや商品がちょうど釣り合っていれば、不満はありません。

ただし、「また行きたいか」と聞かれると、それはどちらでもいい ―という「普通」の状態かもしれません。

「この値段でここまでしてくれるの?」「え、こんなに美味しくて、このサービスでこの料金でいいの?」そう思わせるような、期待を上回る価値を提供された場合―それが「顧客感動」です。

この「顧客感動」を生み出すことこそが、ビジネスにおいて最も理想的な状態です。「お客様が払った金額以上の価値を提供できている」―この状態を積み重ねていくことで、初めて「ファン」が生まれ、リピーターが増え、ビジネスは持続的に成長していくのです。

「不満」「顧客満足」「顧客感動」――ビジネスの3つの状態

では逆に、もしも「支払ったお金に見合わない価値しか受け取れなかった」としたらどうなるでしょう。たとえば、料理が美味しくなかったり、サービスがぞんざいだったりすると、お客様は不満を感じます。このとき、「支払ったお金を下回る価値しか受け取っていない」状態です。その結果、二度と来てくれなくなったり、悪い口コミが広まったりして、そのお店やビジネスはじわじわと追い詰められていきます。

さらに悪質なのは、最初からお客様に便益を与えるつもりがなく、お金だけを取る―いわゆる「詐欺」です。これは明らかに悪い方法でお金を稼ぐことに他なりません。一方で、しっかりと「お客様が支払ったお金以上の価値を提供する」ー この状態を続けている限り、そのビジネスは市場から評価され、発展していくのです。

お金を稼ぐことは「より多くの人の役に立つ」こと

「もっとお金を稼ごう」という意欲は、決して強欲ではありません。それは「より多くの人に、より深く役に立とう」とする姿勢に他なりません。たくさん稼いでいる人は、それだけ多くの人や社会に価値を提供できている証でもあります。もちろん、それは「正しい方法」で稼いでいる場合に限ります。

ただ、こうして理屈で説明しても、感情的な抵抗を持つ方もいらっしゃいます。日本の古い価値観や「清貧思想」(清く貧しくあることが美徳である)という刷り込みが、無意識に心の中に残っている人が多いのです。

「清貧」という価値観と日本人のマインド

たしかに昔から「清貧」という言葉があり、「清く、貧しく」という生き方が美しいとされてきました。「清く正しく美しく」と言うと、なんとなくお金を稼ぐことが悪いことのように感じてしまう。でも、そもそも「清い(きよい)」と「貧しい(まずしい)」は、本質的にまったく異なる概念です。

「清い」の反対は「穢らわしい」ですし、「貧しい」の反対は「富む」です。清いか穢らわしいか、富んでいるか貧しいか―これはまったく別軸で考えるべきことです。

「清貧」ではなく「清富」を目指す

先ほど述べたように、「清い」と「貧しい」は本来まったく異なる軸であり、無理に結び付ける理由はありません。本当に目指すべきは、「清く正しく美しく、そして豊かに生きる」こと、つまり「清富(せいふ)」です。

私自身は「清く正しく美しく儲ける」という言葉をよく使っています。これは、ビジネスの現場でこそ意識したい理想的な姿勢です。

もちろん、現実に「清く、正しく、美しく、しかも豊かに生きる」ことは決して簡単ではありません。人は時に、もっと楽に、早く、目の前の利益を手にしたいと考え、短期的な利己に走りがちです。その誘惑の先にあるのが、「汚い方法で稼ぐ世界」―つまり、相手よりも自分だけが得をするやり方です。

この「清い」と「汚れた」の違いは、結局「利己」か「利他」かという姿勢に集約されます。自分だけが得をするために、相手に何の価値も与えず、あるいは搾取する形でお金を得る―これが「汚い」ビジネス。逆に、自分が受け取るお金以上に、相手や社会に価値を与える、貢献する―これが「清い」ビジネスです。

4つのビジネスゾーンと社会的役割

この考え方をわかりやすく図式化すると、「清い・穢らわしい」と「富む・貧しい」を縦横に並べ、以下の4つのゾーンに分けることができます。

  1. 清くて貧しい(清貧:せいひん)
  2. 穢れていて貧しい(穢貧:わいひん、あえて造語にしています)
  3. 穢れていて富んでいる(穢富:わいふ、これも造語です)
  4. 清くて富んでいる(清富:せいふ)

このうち「穢富」は、心が汚れており、しかも富んでいる。まさに社会にとって最も厄介な存在であり、詐欺や搾取、独占的な既得権益を持って何もせずに利益だけを得ているようなタイプです。一方、「清富」は心が清く、人や社会のために価値を生み出し、正当な報酬として豊かになっている理想的な状態です。

私たちが本当に目指すべきは、この「清富」のゾーンです。正しい方法で価値を生み出し、社会やお客様に貢献し、それに見合った富を得る―これこそが、民間企業で働く上での理想的な「正義」なのです。

不労所得や詐欺的ビジネスの倫理的課題

近年、「不労所得」や「副業」「投資」という言葉をよく耳にします。ですが、本質的な意味での不労所得は、何の努力もせず、ただ運や既得権に頼って得られるお金です。たとえば、親から譲り受けた財産や利権にただ乗りし、自分は何もせず利益だけ得る。これは清くもなければ、社会に価値ももたらしていません。

一方で、「自分の知恵や努力で仕組みをつくり、その成果として収入を得る」という形なら、それは不労所得とは異なります。それまでの努力や投資が報われているだけであり、十分「清い稼ぎ方」です。

また、詐欺的なビジネスや、転売(テンバイヤー)なども問題視されます。市場の構造を意図的に歪め、社会やお客様に負担や迷惑をかけてでも、自分だけが不当に利益を得る。こうした「利己的」な稼ぎ方は、社会的にも認められるものではありません。

同様に「中抜き業者」も、その本質が問われます。プロジェクトを管理し、調整役を果たすなどの付加価値を生み出しているなら、それは正当な報酬です。しかし、ただ下請けに丸投げし、自分たちは何もせずに利益だけを抜き取るならば、それは「穢れた稼ぎ方」と言わざるをえません。

公的資金や政治とビジネス倫理

さらに最近、政治家や公務員による「利権の流用」「税金の私物化」もニュースで頻繁に取り上げられています。本来は国民全体のために使われるべき税金が、一部の特定団体や自分の周囲にだけ優先して使われる。これはまさしく「利己的」で「穢れた」行いです。社会全体の富を減らす行為でもあります。

こうした負のイメージが強くなりすぎた結果、「お金を稼ぐこと=悪いこと」と思い込む人が増えてしまった側面もあるでしょう。しかし実際には、「清く正しく美しくお金を稼ぐ」ことは、社会にとっても自分にとってもプラスのはずです。

正しい方法で美しく稼ぐ努力

では、どうすれば「清富」の世界に近づけるのでしょうか。その答えは、「学び続け、正しく努力し続けること」です。正しい知識や方法を身につけ、地道に努力し、相手のため、社会のためになることを考え抜く。その積み重ねが、自分自身の豊かさを実現し、組織や社会の発展にもつながります。

情報や知識が簡単に手に入る現代では、「何を知っているか」よりも「正しい行動を継続できるか」が問われています。いくら正しい知識を持っていても、自分の欲望や誘惑に負け、ズルいやり方に流されてしまえば、結局「清富」ではなく「穢富」や「穢貧」へと戻ってしまいます。

「清く正しく美しく稼ぐ」という姿勢を持ち続けるためには、自己統制―セルフマネジメントの力が不可欠です。正しいことをやり続ける、そのために自分自身を律する。この自己統制能力こそ、現代ビジネスパーソンの最大の武器なのです。

清く正しく美しく稼ぐことが社会を変える

ここまで述べてきた通り、「清く正しく美しくお金を稼ぐ」こと―つまり「清富」の生き方は、決して自分ひとりの幸せだけにとどまりません。清富の人が増えれば増えるほど、組織も社会も、より健全で発展的になっていきます。それに対して「穢富」、つまり心が汚れて富んでいる人が増えてしまえば、社会は徐々に歪み、格差や犯罪、閉塞感が拡大してしまうのです。

実際、現代の日本社会を振り返ると、「失われた30年」と呼ばれる経済低迷の背景には、こうした「汚れた稼ぎ方」や他人任せのマインドが広がり、経済力や国力が少しずつ失われてきた側面があります。経済力が落ちると、海外からも狙われやすくなり、社会の秩序も乱れがちになります。一人ひとりが「清く正しく美しく稼ぐ」ことを意識して努力を重ねていけば、必ず日本社会全体の治安や幸福度も上がっていくのです。

まとめ―理想を胸に、日々チャレンジを

ここまで、「お金を稼ぐことは正義である」というテーマで、新入社員研修で伝えている考え方をお話ししてきました。今、自分は4つのゾーン(清貧・穢貧・穢富・清富)のうちどこにいるか、どこを目指していきたいか。そして、清富を目指すためには、どんな価値観や行動が大切なのか―ぜひ一人ひとりが自分自身と向き合い、日々の仕事や生活の中で問い続けてみてください。

お金を稼ぐことに引け目や罪悪感を感じる必要はまったくありません。むしろ「清く正しく美しく」そのあり方で豊かになることを誇りに思い、堂々と自分の成長や社会への貢献に挑み続けてほしいのです。自分の幸せ、組織の発展、社会全体の幸福。

そのすべては、一人ひとりの「正しい稼ぎ方」への挑戦から始まります。この考え方を、あなたのまわりの職場や家族、友人にもぜひ広めていただき、みんなで豊かな未来を築いていきましょう。

 本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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