こちらの方にさせていただいてよろしかったでしょうか?

先週、2回目ワクチンの洗礼を浴びて、39℃近くの熱とモデルナアームの痛みに悶絶していました。話には聞いていましたが、相当以上に堪えました。1回目も38℃近くまで熱が上がり腕も痛かったのですが、2回目ははるかにキツかったです。

こうなることは覚悟していたため、摂取後に2日間は人前に出る業務がないスケジュールを選ぶ必要があり、接種のタイミングがかなりズレ込んだのですが、ひとまずこれをもうやらなくて良いのかと思うと一安心です。日中はなるべく頭を使わない仕事をして、夜は子どもたちと19:30に床につくという生活が3日ほど続きましたが、これだけ反応が出るということは免疫が高い証拠だと前向きに捉え、久々に心置きなく寝る機会をいただいたと思うことにしました。やはりすべての活動の資本は健康なんだなと改めて痛感です。コロナも治療薬のニュースが耳に入るようになり、期待を寄せています。毎年ワクチンを打つなんていう流れにならないことを祈るばかりです。

さて、今回はいつも書かないようなテーマですが、先週ワクチン明けの仕事であまりにも見過ごせない場面に遭遇したので書かずにはいられませんでした。誤った敬語の例としてよく挙げられる、

「〜の方」
「〜させていただく」
「〜でよろしかったでしょうか」

このフルコースを実際に話している方がいたのです。それも、しばしば例として挙げられる飲食業などの若い方(主に女性のイメージ)ではなく、オフィス勤務の年配の男性です。

世も末だと思うべきか。それとも、誤った敬語として認識する方がもはや時代遅れで、受け入れていくべきなのか。この語り口が受け入れられないこと自体が、自分が年をとったという証なのか。悶々とするばかりです。

かくいう私も、新入社員研修などを担当するようになって、改めて敬語の勉強をするようになってから意識するようになったことなので、もしかしたら違和感を抱かない方もいらっしゃるかもしれません。ただ、できればこの言葉づかいをする方が一人でも減って欲しいので、専門外の内容ですが書いてみることにしました。

ほうほう族とファミコン言葉

名詞や代名詞にやたらと「〜の方」をつけて話す方々のことを「ほうほう族」と呼ぶそうです。

「私の方で承ります」
「お支払いの方はあちらでお願いします」
「お箸の方はお付けいたしますか?」

ファミレスやコンビニで使用されるケースが多いことから、「ファミコン言葉」とも呼ばれるそうです。

「方」は本来、方角を示す言葉。上記のいずれも、何の方角も表していないので日本語として成立していません。言葉の意味としては「一方」「他方」などのように、二つに分かれたもののひとつを指す場合もあるので、「あちらの方」「こちらの方」はギリギリセーフかもしれません。それでも、「こちら」「あちら」と言えば十分に意味が通じます。

何より、この「方」は文脈上何の意味も持たずただ冗長に話を伸ばしているだけなので、純粋に聞き苦しいですし、コミュニケーションに時間がかかる。限られた時間で実りある話をしたい時には実に苦痛に感じます。

させていただかなくていいので、勝手にやってください

最近、ほうほう族よりも目につくのが、何かと「させていただく」をつけて話をする方々です。

本来「させていただく」は相手の許可や承諾を必要とし、その結果として自分が何かしらの恩恵を受ける行為に対して用いられるべきものです。

「明日、お伺いさせていただきます」
「後日、点検でお部屋に入らせていただきます」
「では、お忘れ物は当方で処分させていたきます」

これらは、相手の時間や空間に立ち入ったり、相手の所有物に触れたりすることで、自分が何かしらの目的を果たす(恩恵を受ける)ことになるため、正しい「させていただきます」の使い方になります。

一方、下記のような使い方はおかしな表現です。

「この度、当社で販売させていただく商品は・・・」
「こちらで検討させていただきます」
「資料を拝見させていただきます」

商品を販売するのにこちらの許可は必要ないですし、検討するのにも資料を見てもらうのにも、こちらは何の影響も受けません。いずれも「勝手にすれば」というような内容なのです。

何ら相手に影響を与えることなく、自分が自由にできるはずのことを「させていただく」必要はまったくなく、いずれも「します」「致します」で十分だと言えます。「〜の方」と同様に話が冗長で聞き苦しいことに加えて、あまり頻出するとへりくだっている印象を受けます。過度に多いようだと卑屈になっているようにすら聞こえます。

いつの間に言いましたっけ

「よろしかったでしょうか?」という言い回しも、しばしば耳にします。ほうほう族が併せて使うイメージがあります。詳しく調べていないですが、もしかしたら、これもファミコン言葉の一種に属するかもしれません。

「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」
「スプーンとフォークはおつけしてよろしかったでしょうか」

なぜ過去形?

そもそも「よろしかった」という表現自体が日本語として誤っているはずなのですが、それでも相手が言ったことを確認する目的で使うなら、まだ伝わらないわけでもありません。しかし、多くの場合、はじめて相手の意思や意図を確認する際に用いられています。つまり、文脈と時制が食い違っているのです。話が冗長になるとか以前の問題として、もはや会話として成立していません。まだ一度も話題にあがっていないはずのことなので、普通に現在形で「よろしいでしょうか」と言えば済む話です。

最後に日本語を勉強したのはいつですか

上記の他にも「〜になります」など、何の変形や変態もしないものを指し示すものに対して「なる」を用いる場合もあります。いずれも「バイト敬語」という総称で、主に飲食や小売のアルバイトをしている若い方々が用いる誤った敬語として表されます。

もちろん、アルバイトだから、若い世代だから許されるというものではなく、正しい言葉づかいができるに越したことはありません。とはいえ、社会経験が不十分な方々が使うのであれば、不勉強だからとしてまだ許せる範囲です。しかし、社会経験を何十年も積んでいる大人がこの有様では、もはや教養がなく知性や品格が欠如しているとしか映らなくなります。ただただ残念ですし、とても一緒に仕事をしたいとは思えなくなります。

なぜこうした誤った敬語を使ってしまうのか。自覚して使っているのであれば、それはそれで問題ですが、それ以上に自覚がなくて永遠に修正する機会が得られないのではとすら思います。他人からフィードバックを受けて気づくことができれば修正はできるかもしれませんが、人間、年をとればとるほど、周囲はさわらぬ神にたたりなしで指摘をしてくれなくなります。自分で自分を疑い、気づく以外に直す方法がありません。

思えば、社会人になって以降、敬語をはじめとした日本語の使い方について勉強する機会はほぼないのが常です。よほど関心を高く持って自分から勉強するような一部の人を除けば、新入社員研修のビジネスマナーで少し敬語に触れる程度の学習が人生最後の場面であることが多いです。

しかし、使う言葉は自らの脳へ、潜在意識へと日々刻み込まれます。つまり、使う言葉が自分の思考や行動パターンを作り出し、それが人格となり、やがて人生へと結びつきます。

英語は勉強するのに、母国語である日本語を勉強し続ける人は極めて少ない。本当に人間っておかしな生き物だなと思いますし、かくいう私自身もこんな仕事に就いていなかったら日本語を勉強することもなかっただろうなと思います。それでも、新入社員研修で敬語を教えるレベルで十分なので、正しい言葉づかい、そして知性や教養の溢れる言葉づかいにはまだまだ遥か遠いです。

使う言葉が人を表す。もっと日本語に高い関心を抱くことが必要だと、今回改めて認識しました。

本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

   

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