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2020.3.2
前回の投稿で、自律的なキャリアデザインを行うために、次の4点が前提として求められるというお話をいたしました。
今回は1点目である「自分の頭で考える」について解説いたします。
少し前になりますが、以前にwebニュースで高校生の読解力が低下しているという記事を見ました。
「PISA調査 日本の読解力低迷、読書習慣の減少も影響か」(産経新聞)
国際学習到達度調査(PISA)における日本のランキングが、前々回の4位、前回の8位からさらに下がり、15位まで転落したという内容でした。そして、読解力低下の原因として読書量の減少が仮説として挙げられています。
読解力は「考える力」に大きな影響を与える要素の一つです。読解力が低いということは、課題の本質を捉えたり、相手の言葉の真意を捉えたりする能力が低いとも言え、問題解決やコミュニケーションに支障をきたすことになります。
いま職場においては「自分で考えて、行動する」自律型の人材の必要性が叫ばれています。環境変化のスピードが速く、動きながら考えることが求められる現代人にとって、「考える力」は仕事の成果を決めるとても重要な能力です。
コンサルティングの現場で管理職層やリーダー層の方々と話をしていると、「自分の頭で考えて欲しい」「考えてみればわかることなのに」など、部下や後輩の思考力を嘆く声が決して少なくありません。
仕事の場面において唯一の正解を導けることは稀で、また必要な情報を十分に収集できる機会も多いとは言えません。限られた情報の中から一定の仮説を導き出すためには、不足している情報を自分の頭で考えて補う力が求められます。
読解力は限られた情報の中から、その真意や本質を捉える上で極めて重要な能力の一つです。インターネットの普及により、読書離れが加速していると耳にしますが、ついに目に表れる段階にまで状況が悪化したのだなと思います。
もはや「考える力」を鍛えることは、個人や個別の組織の域を超えた、社会レベルの課題だと私は考えます。
学校教育では、今後プログラミングや英語への取り組みが強化されていくようですが、それ以前の問題として、まずは日本語の読解力を高めて考える力を鍛えることの方が急務ではないかと思います。そして、子どもに限った話ではなく、社会人になってからも、より高度な問題解決に対応できるよう考える力をさらに鍛えていくことが求められます。
考える力を磨くためには、そもそも「考える」とはどういう行為なのかを理解しておく必要がありますが、その前にまずは前提知識として脳の記憶領域について触れておきます。
人間の記憶領域を大まかに分類すると、「短期記憶」と「長期記憶」の2つの機能があります。
短期記憶は、直近(24~48時間程度)や、喫緊に取り組むべき課題(要するにいま気になっていること)を格納する領域です。容量が小さいのが特徴で、一度に扱える情報量は少ないものの、ここにある情報はスピーディに取り扱うことができます。心理学風に言うと「(顕在)意識」に相当します。例えて言うなら「作業机」です。どこに何が入っているのかが容易に把握でき、すぐに取り出すこともできます。
長期記憶は、短期記憶に格納しきれなくなった知識や情報、自分の経験の記憶を蓄積しておく領域です。心理学風に言うと「潜在意識」「無意識」に相当します。例えて言うなら「倉庫」です。とても広いスペースがありますが、その分、どこに何があるかがわかりづらい上、記憶を取り出すまでに時間がかかります。
ただし、短期記憶から長期記憶に記憶が移動する際、強い感情が結びついた記憶にはインデックス(目印)がつきます。そのため、喜怒哀楽などの感情を伴うインパクトの強い体験や、自分が重要視している物事は、後から探しやすくなりますし、逆に感情を伴わない出来事や知識・情報は、容易には探しにくくなります。
なお、長期記憶にある記憶を探索して、短期記憶に呼び戻す行為を「思い出す」と言います。
さて、話を本題に戻します。
「考える」とは、「短期記憶にセットされたある特定の課題(問い)に対して、長期記憶から呼び戻した知識や情報、あるいは新たに入手した知識や情報を組み合わせて、解答を導き出す行為」です。
がポイントであり、このすべてを満たしていないと「考える」とは言えません。
例えば、あなたが外出して帰りが遅くなってしまい、外食して夕食をとろうとしたとします。すると、「今夜、何を食べようか」という課題が短期記憶にセットされることになります。
この課題に対する解答を導くためには、その判断材料として自分の長期記憶の中から複数の知識や情報を呼び戻す必要が生じます。
これらを組み合わせて、総合的に一つの解答を出そうとする行為が「考える」です。
もし仮に、常日頃からずっと「ラーメンが食べたい」と思っていたとしたら、それが短期記憶にあらかじめ常駐しているため、「今夜、何を食べようか」という課題に対して、「ラーメン」という解答が即座に導かれることになります。短期記憶に入っている情報で即答できる解答は「考える」とは言えません。
「考える」とは、長期記憶にある複数の情報を短期記憶に呼び戻して並べ、それらを組み合わせて新たな情報(解答)を導こうとするプロセスです。したがって、考えて答えを出すためには一定の時間がかかります。
また、自分の長期記憶にある知識や情報だけで判断が不十分な場合、追加の判断材料が必要になります。上記の例で言うなら、スマートフォンで近隣の店を検索する、街を歩いて店を知るなどです。こうした自分の記憶の外にある情報を「外部記憶」と言います。
解答の精度を高めるためには、より効果的で新鮮な情報が必要になる場合があります。その場合は、外部記憶から情報を収集して短期記憶に入れ、組み合わせる情報量を増やすことが有効です。この新しい情報がやがて外部記憶に移動し、次に何かを考える上での材料になるのです。
物事を考えるためには、
の両方が必要になります。
したがって、考える力を鍛えるためには、日頃からこの両方を向上させることが求められます。そのために有効なのが、「いろいろな物事に関心を持つ」ことと「読書」だと私は考えます。
長期記憶にある知識や情報に偏りがある場合、組み合わせのパターンが限定的になり、解答が偏った視点になりがちになります。
関心の幅を広げたり、多様な価値観を受け入れたりすることで、収集する知識や情報のバリエーションが広がるため、考える際の組み合わせが多様化し、物事をより俯瞰的に、網羅的に考えられるようになります。また、視点のバリエーションが広がることで、結果的に知識や情報の量も増えていきます。これが考える力の強化につながります。
▼視点・視野・視座についての解説は過去記事をご覧ください▼
「視野を広げるために必要なこと」
また、長期記憶に蓄える知識の質を高めるためには、読書が非常に有効です。
テレビやインターネットなどで収集できるのは、どちらかというと即時性が高くてフローの性質を持つ「情報」です。もちろん、情報も判断材料として重要ですが、即時性を優先して発信されているため、情報の性質が断片的ですし、中には裏付けが不十分で誤ったものも多いと言えます。
一方、書籍は発行されるまでに、著者や編集者が何度も推敲を重ねているため内容の精度が高く、また編成も練られているので体系的に知識を習得できます。何より、即時性よりも、長期間にわたって人の手に届くことを想定しているため、テレビやインターネットに比べて普遍的な内容で、ストックとして汎用的に活用できる「知識」を得ることができます。
近年、子どもだけでなく大人の読書量も確実に減ってきているようです。スマートフォンの普及によってか、電車や喫茶店の中で本を読む人の姿をあまり見かけなくなりました。しかし、物事を考える上では、即時性の高い「情報」だけではなく、普遍的・汎用的に活用できる「知識」のベースが必要であり、それが導かれる解答の質を向上させてくれます。
いろいろな物事に関心を持ち、本を読む。
そして、自分から様々な課題を設定し、日頃から自分の頭で考える習慣を持つことが、「考える力」を鍛えることにつながり、それが仕事や人生の質を高めることにつながると、私は考えます。
本日も最後まで読んでいたき、ありがとうございました。