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2017.3.9
「ノーリスク・ノーリターン」という言葉があります。
リスクを負わなければリターンを得ることができない。
そこから転じて、大きな成果を得るためには、代償はつきものだという意図で用いられます。
リスクの小さい選択肢とリスクの大きい選択肢の両方をとることができる場合に、リスクの大きい方の選択肢をとれば、大きな成果を得られる可能性があることを表しています。
しかし、考えてみれば、これはいずれにせよ、どちらかの選択肢をとることが前提となっている表現だとも言えます。
大きなリスクを取るにせよ、小さいリスクを取るにせよ、この選択を行うためには、それよりも前段階に判断しなけばならないことがあります。
それは、
「そもそも、やるのか、やらないのか」
です。
リスクが大きければ、リターンも大きい。
リスクが小さければ、リターンも小さい。
リスクとは「不確定要素」を指す言葉です。
どんなことであれ、将来やることに対して100%の確証が得られることはありません。
つまり、現実的にはリスクがゼロということは考えにくく、何かしらの行動を行えば、何かしらのリターンを得ることができます。
マイナスのリターンもあるため、選択を誤れば、かえって被害を招く結果になることもありますが、それでも何かしらの結果がもたらされます。
しかし、リスクをまったくとらなければ、すなわち何も行動しなければ、リターンはゼロです。
すなわち、正確には「ノートライ・ノーリターン」なのです。
私たちの人格や能力は、経験の蓄積によって磨かれていきます。
成長とは経験そのものであり、経験を積むためには、まずは何にせよ行動することが必要です。
しかし、私たちは日常の多くの物事について、無意識のうちに「やる/やらない」の判断をしており、その結果、多くのことを「やらない」と結論づけています。
人は1日に10万回以上の判断を行っていると言われていますが、そのうち、意識的に行っているものはほんのわずかです。大部分は、無意識のうちに行っています。
そして、無意識は、過去の経験によってつくられた興味・関心・価値観などに従って、自動操縦のように物事の「やる/やらない」の判断をしています。
その結果、私たちは実に多くのチャンスを見逃してしまっているのです。
今までにないリターンを得るチャンスがあったとしても、無意識のうちに「トライしない」ということを決めてしまっているため、リターンを得ることができないと考えることができます。
私たちが日常生活で受信している情報量は、実に毎秒200万ビットにものぼると言われています。
そのうち脳が処理できている情報量は、0.1%以下の134ビットに過ぎません。
つまり、世界の99.9%は見えていないのです。
この見逃している世界を見るためには、自動操縦で物事を判断している、無意識の興味・関心・価値観の幅を広げて、情報受信の感度を上げていく必要があります。
そのために有効な方法は大きく2つあります。
一つは、「やるか、やならいかで迷ったら、やる方を選択する」ということです。
迷うということは、どちらもの選択肢もとれるということです。
どうやっても無理だということが明らかな場合は、迷うまでもなく「やらない」という選択肢をとります。
迷うということは、やろうと思えばできるということを意味しています。覚悟が必要か、面倒くさいかで、やらない選択肢も考えられるというだけです。
しかし、ノートライ・ノーリターンであることを考えれば、やらない選択肢をとることは、リターンを手放すことを意味します。
迷ったら、やる方を選ぶ。
それだけで、あなたは確実に、何かしらを得ることができるのです。
もう一つは、こちらがより重要なのですが、「人の誘いには、できるだけのってみる」ということです。
無意識で行われる判断は、「自分の」興味・関心・価値観に基づいて行われます。
自分だけで意識的に幅を広げようとしても、ここから逃れることはできません。
すなわち、自分の世界で生きているだけでは、さらなる成長や成果は望めないということです。
他人の誘いには、自分の興味・関心・価値観の外にあるものが含まれています。
その機会に触れるだけで、自分の幅を広げることができ、これが将来のリターンの幅を広げてくれます。
これにより、見えている世界がさらに広がり、その結果、より多くのものを手にすることができるのです。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。