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2017.9.13
最近、講演や企業研修で話をする中で、たびたび取り上げる話題があります。
階層別研修、売上向上、リーダーシップ、論理的思考、キャリアデザイン・・・など、いろいろなテーマについてお話をする機会をいただいていますが、
メインテーマが何であれ、企業の成長や個人の能力開発について考える上で、もはやこの話題を避けて通ることはできない、と思うほどです。
それは
「第4次産業革命時代に、人間に残される仕事とは」
という命題です。
「第4次産業革命」とは、ドイツで提唱された新しい時代の産業のあり方を表す概念です。英語表記では”industry4.0″と表されます。
第1次の蒸気機関、第2次の電気、第3次のITに続く大きな変革として、現実世界(リアル・アナログ)と仮想空間(バーチャル・デジタル)が融合された産業構造を描いたモデルです。
様々なモノ、ヒト、環境にITが介在するようになり、高度な情報通信・情報処理技術が生活や仕事の重要な基盤を支えるようになった結果、ついには現実世界と仮想空間の境界線があいまいになる(もしくは、なくなる)ことを意味します。
AR(拡張現実)や自動車の自動運転、顔画像認証によるセキュリティシステムなどは、現時点の技術でそれが表れている例だと言えます。
近い将来像としては、農業や製造業などが、半自動的に運営され、生産効率を大幅に向上させることが期待されています。
人がほとんど介入しなくても、半自動的に産業が成立する、そんな世の中が来ようとしています。
こうした産業のあり方を実現する上で、鍵とされているのがAI(人工知能)です。
人工知能の進歩のスピードは目覚ましく、経済産業省(産業構造審議会)の見解によれば、2020年には農業・工業・物流・建設など多岐に渡って業務の自動化が進むと目されています。
さらに、2025年にはAIがついに言語を理解できるようになり、翻訳や異国間取引の自動化が進むと見られています。
現時点でも、音声認識システムによって人が話した言葉を「認識」することは可能ですが、先の将来では、その言葉が持つ文脈や意味までもを理解できるようになります。
これは即ち、人が依頼したり命令したことを、AIが「考えて」、答えを返したり、反応したりできるようになることを意味します。
これにより、AIは人間の知的活動である「思考」という領域に、入ってくることになるのです。
その結果、現存する職業の多くが、この先10年程度でAIに置き換えられるようになるという予見が、数々の研究機関から示されています。
すでに3年前の発表ですが、オックスフォード大学の研究によれば、あと10年で702の職業がなくなるとされています。
日本においても、野村総合研究所が「労働人口の49%が人工知能やロボット等で代替可能に」と発表しています。https://www.nri.com/jp/news/2015/151202_1.aspx
単純な作業、定型化できる業務、指示・命令に従うだけの業務など、誰がやっても成果がさほど変わらない仕事は、自動化・機械化がますます加速していくことでしょう。
こうした考え方に基づくと、そう遠くない将来、今とはまったく異なる職業に就いている(就かざるをえない)人が、数多く生まれることになります。
その時、私たち人間はいったい何を仕事としているのでしょうか。
現在の様々な職業がAIやロボットに置き換わっていった後、人間に残される仕事は大きく次の3つに分類されるのではないかと考えます。
人がやっていた仕事がAIによって取って替わられるならば、その背後には、AIを生みだし、運営する人たちが存在することになります。
AIを研究・開発し、生産し、販売し、運用・管理する・・・こうした「AIを仕掛ける」側に回る人たちがいて、はじめてAI時代の産業構造が成立します。
そして、ここに資金や権力が集まり、この分類に属する人たちは、時代の覇権を握るようになることでしょう。
しかし、ここに属することができる人は、ほんの一握りです。仕事がAIに置き換えられた人たちの多くは、次の2または3の道に進むことになります。
一つの側面では、仕事をAIに置き換えられ、そのAIに「使われる」人たちが生まれることになります。
たとえ、業務内容がAIやロボットに徐々に替わられていったとしても、業務のすべての工程が機械化・自動化されるには、まだまだ年月がかかると思われます。
細かな部分や、最後の仕上げなど、人間がやらなくてはならない領域が、部分的に残ることになります。
しかし、そうした仕事の方針決定、計画、スケジューリング、状況判断などはAIが行うようになるため、AIやロボットができない部分を「補う」ことが人間の役割になります。
そこに存在するのは、単純な「労働」のみ。高性能な「作業マシーン」として成果を上げることが期待されるだけで、およそ人間性を発揮した仕事とは呼べない内容となります。
当然、報酬も少なくなることが予想されます。誰でも代替可能な「作業」に過ぎないからです。
私たちが、人間らしく働き、人間らしく生きることを望むならば、できる限りこの領域に属さないように努めることがが必要になると言えるでしょう。
最後の分類は、AIではできない仕事です。
1の分類に属さない業種・業界で仕事をし、2の分類にならないようにするためには、私たちは「AIでは決してできない仕事」を担う必要があります。
そして、「AIに使われる仕事」と「AIにできない仕事」の境目を分けるのが、
です。
どれだけ、AIの技術が高度になったとしても、コンピューターテクノロジーである以上、入力されたデータを超える成果を生み出すことは難しいと言えます。
なぜなら、入力(データ)を出力(成果)に変換するメカニズムを作り出すのも、また人間だからです。
それはつまり、AIが生み出す成果は「人間の想像の範囲内」、言い換えれば「過去の延長線上」から、逃れることが困難であることを意味します。
したがって、固定概念や常識、過去の経験にとらわれず、柔軟で斬新な発想を生み出す「創造力」を発揮できる人は、決してAIでは置き換えることのできない仕事をすることができるのです。
また、AIは人間が予めプログラムしたシナリオに基づき、忠実にそれを遂行しようとします。
何かに強く興味・関心を抱いたり、自分のやっていることに意味や意義を見出したり、特定の何かに情熱を燃やしたりすることはありません。
したがって、命じられた(プログラムされた)ことは実行しても、自らそれ「以上」のことをしようとすることはないのです。
単に命じられたからやる、というのではなく、自らの活動に価値や目的を見出し、自らの意思で、期待成果を上回るものを生み出そうとする「主体性」のある人は、その仕事をAIに取って替わられることはないでしょう。
加えて、AIには「感情」がありません。感情がないということは「欲求」がないということです。
世の中のあらゆる商品やサービスは、人間の欲求を満たすために生み出され、消費されています。
人は何を欲しているのか。何に不便を感じ、何に不満足なのか。どういうものがあれば、人々の生活に役立つのか。豊かになるのか。こうした人の「ニーズ」は、人間の社会的・文化的な活動の営みの中から生まれます。
そして、それを発見し、認知することは、感情や欲求を抱く人間にしかできません。そうした人間らしさを発揮する、「人間味」のある人は、商品やサービスを生み出す主体として、仕事をし続けることになるでしょう。
どれだけ技術が進化したとしても、技術が代替できるのは「作業」に過ぎません。
「仕事」は「作業」とイコールではありません。
作業にどういう意味や価値を付与し、人々のどういう欲求を満たす存在として、商品やサービスを提供するのか。
それを考え、実現するのが人間の「仕事」なのであり、それはこれから何十年、何百年が経過しようと、ずっと変わらない普遍の真理なのだと思います。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。