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2021.11.22
先日、久々に実家に顔を出し、父とじっくり話をしてきました。父は71歳。中小企業の創業社長です。健康の話、会社経営の話、社会や経済の話など、いろいろな話をしてきました。
周囲に経営や社会問題の話をできる人がいないらしく、こういう話ができるのが楽しいと言っていました。コンサルタントになったこと、起業したこと、それが図らずも父が楽しいと思う会話ができるようになったことにつながり、結果として親孝行になっているのだと思うと、なんとも感慨深いものがあります。
さて、父といろいろな話をしている中で、一つだけ心の中にひっかかたことがありました。下記のような話でした。
最近はうまくいかないことがあると、すぐに自暴自棄になって犯罪に手を染める人が増えてきている。
自分が思うようにうまくいかないなんて当たり前。
そこから立ち上がり、やり直したりするために、挑戦し、頑張るのが生きるということ。
すぐに諦め、やけくそになって、周囲を傷つけたり、迷惑をかけたりする人が増えたのが嘆かわしい。
もちろん、定量的な根拠に基づいた話ではないので、本当にそういう人が「増えた」のかはわかりません。あくまで印象での話でしょうが、最近では京王線の殺傷事件や九州新幹線での放火致傷事件があったので、そういう人が増えたような印象は否めません。
どんな人にでも、不測の事態や直面する壁はあります。そして、多くの人がそれに立ち向かい、乗り越えて、人生を送っている。そこで自暴自棄になって周囲を傷つけるのは本当に嘆かわしいし、決して起きて欲しくはありません。しかし、あくまでこれも感覚的な話ではありますが、今後もこういう人たちは一定の割合で出続けてくるのだろうなと思います。あくまで感覚ですが。
なぜ、壁に立ち向かえないのか。考えるに、それは自己肯定感が低いからではないかと思います。自分はもうダメだ。どうせ無理だ。頑張っても仕方がない。もうどうなってもいい。面倒くさい。こうした感情に支配され、人を狂気へと向かわせます。そうならないようにするためには、自己肯定感を高め、保ち続けることが必要です。
自己肯定感とは、その言葉の通り「ありのままの自分を肯定する感覚」のことです。
他者と比較することなく、自分自身が「今の自分」を認め尊重することで生まれる感覚であり、物事を前に進めるための原動力となります。出典:GLOBIS CAREER NOTE
https://mba.globis.ac.jp/careernote/1327.html
負の感情に支配されることなく、理性的な自分を保ち続けるためには、高い自己肯定感が必要です。したがって、自己肯定感を自分の意思で高める技術があれば、人生を棒に振るうリスクを最小限に止めることができます。そして、世に生きるすべての人が高い自己肯定感を持っていれば、悲しい事件が起きなくて済むのではないかとも思います。
今回は、自己肯定感を高める方法について考えてみました。
自己肯定感とは、自分自身の存在を肯定的に受け入れ、尊重し、信じることができる感覚のことです。そのためには、自分自身に対する信用と信頼が欠かせません。
信用とは「過去の実績や事実に対する肯定的な評価」のことであり、信頼とは「信用や実績をベースにした未来に対する期待」のことです。不測の事態に直面したり、大きな壁にぶつかったりして挫折を味わった時、そこから立ち上がるには自分自身に対する信頼が必要です。苦しい状況にあっても、きっとそれを打開し、乗り越えていけるという信頼。この自分自身に対する信頼のことを「自信」と呼ぶわけです。
そして、信頼のベースになっているのは信用です。過去の出来事、経験、実績といった事実に基づき、信じるに足る存在だと認める。それが信用です。つまり、将来の自分に対して信頼を寄せるためには、過去から現在にいたるまでの自分の生き方を信用する必要があるわけです。
自分はそんな大した人間ではない。大それたことはやってきていない。それどころか、過去にはいろいろと過ちや失敗を犯してしまった。自分を信用するどころか、むしろ信用できない過去を送ってきた。そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。清廉潔白な人間などいません。私にも悔やむ過去、消したい記憶、できればやり直したいと思うようなこともたくさんあります。
それでも、どんな人であっても「現在の自分は、過去の自分よりも優れている」と私は考えます。人は経験から学ぶことができます。それどころか、経験を積むことでしか、本当の意味で学ぶことはできないとおも言えます。そして、生きるということは、毎日が何かしらの経験を積んでいることだとも言えます。それゆえ、人は生きているだけでも毎日何かしらを学んでいるのです。
以前、私が「今の仕事はとても大変だ。今やっていることに比べたら、昔にやっていたことなんて、ずいぶん簡単なことのように思える」とぼやいていると、妻から「昔だって『今がこれまでで一番大変だ』と言っていたじゃない。ずいぶん都合の良い記憶だこと。いつもいつも『今が一番大変だ』と言っている。これからもそうして、『昔は楽だった。今が大変』て言い続けていくつもりかしら」と言われました。
必死だったし、しんどかったので、言われたその時にはムッとしましたが、言っていることは真理をついていると思います。そう、人間というものは都合の良い記憶を持ち、いつだって「今が大変だ」と現状を肯定しようとするものなのです。
すでに乗り越えてしまった壁や苦難は、自分にとってはすでに「終わっていること」なので、その時の問題が小さく見えます。一方、いま直面している壁や苦難は、見通しが立たず、どうなるかわからないことなので、問題が大きく見えるのです。
すでに自分の記憶の中にあるものは、コンフォート・ゾーン(心理的な安心領域)の内側にあります。対処できた経験があるので、どうにでも対処できるように見えるのです。しかし、現在進行中の壁や苦難はコンフォート・ゾーンの外側にあります。人間は未知のものには不安や恐怖などの負の感情を抱く習性があります。これは、太古の昔より、私たちの祖先が自分たちの生命を守るために、本能に刻み込んできた習性だとも言えます。未知の土地や動物、食べ物に恐怖を抱かなかったら、命がいくつあっても足りなかったことでしょう。
つまり、人間は自分の記憶の中にすでにあるものは容易に感じ、記憶にないものは困難に感じるものなのです。これを前提として覚えていないと、いま目の前に起きている問題は、常に乗り越えられないような強大な壁のように感じてしまします。しかし、実際にはそんなことはなく、私たちが直面している日々の問題の数々は、たいていは地理や時間を超えて、すでに誰かが解決したり、乗り越えていたりしている問題なのです。人類の歴史上、まったくの未知の出来事に、次から次へと直面するような人などほとんどいません。もしいたとしたら、それはかなり傲慢だとも言えるでしょう。
比較対象はあくまでも過去の自分です。自分の記憶の中にあるか、外にあるか。それだけで、問題は大きくも見えるし、小さくも見えるのです。
困難な壁にぶち当たった時、もうどうにもならないと思った時、過去の自分が直面した壁を振り返ってみましょう。そして、今の自分だったら、その状況にどう対処できるかを考えてみましょう。多くの場合、当時よりも今の自分の方がうまくやれると思えるはずです。なぜなら、乗り越えたから今の自分があるわけですし、どのようにすれば乗り越えられるかという方法論も、すでに答えを持っているからです。
一度でも克服した壁や苦難は、記憶の中に残ります。人間の記憶は都合が良いです。記憶の中にある問題は、いつだって小さく見えます。当時の自分が苦しんだ経験ですら、今の自分から見れば「大したことない」と映るのです。そして、その経験を積んだ今の自分は、過去の自分よりも成長し、優れているのです。
問題の大きさは、自分の人間としての器の大きさによって異なります。他人から見たら大したことないようなことでも、自分にとっては一大事である場合もあります。逆に、自分にとってはなんてことないようなことが、他人にとっては一大事である場合もあります。問題が大きく見えるか、小さく見えるかは、過去の自分との相対的な比較によって異なるのです。そして、常に、解決済の問題は小さく見えるのです。それを逆手にとって、「毎日が成長している自分」を感じるようにしていけば、自ずと自己肯定感は高くなります。
自己肯定感を上げるためには、過去の自分と比較して、自分の成長を実感することです。他人と比べる必要はなく、過去の自分よりも今の自分の方が成長しているように思えれば良いのです。そして、常に昨日より今日、今日より明日と、自分が毎日少しずつでも成長していけるように励んでいれば、やがて大きな飛躍を遂げます。以前、YouTubeの動画でもご説明しましたが、日々のコツコツとした積み重ねは、やがて指数関数的に大きく飛躍するようになるのです。
歩みを止めなければ、やがては自分が憧れる人、目指す人の水準に追いつく可能性があります。歩みを止めないことが、自己肯定感を高く保ち、自分の人間としての器、将来の可能性を広げることにつながるです。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。