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2014.10.23
前回の続きです。
「願望を明確化する」とはどういうことでしょう。願望や欲求はどんな方にもあります。大きなものから小さなものまであります。しかし、それらが自覚されているにもかからわらず、なぜそれらの願望や欲求はなぜ実現しないことが多いのでしょう。どうして願望のままで終わってしまうのでしょうか。
願望が実現するためには「行動」が伴う必要があります。実現した状況を思い描くこと(イメージ)と、思い描いた状況に現実を近づけるべく「行動する」ことの両方が十分なレベルに達した時、願望はその大小に関わらず実現することができます。
小さな欲求であれば、小さな行動によって実現することができます。しかし、大きな願望ともなると、多少の行動では実現できないのが現実です。必要十分なだけの行動を「積み重ねる」必要があり、そのためには自分を突き動かし続ける強力なエネルギーが必要になります。この「行動を継続する」ことこそが、人生で成功する最大の要因であり、一方で多くの人が思い描いた人生を送れない主要因ではないかと考えています。
継続力を生み出す強力なエネルギー。それは強烈な想い、すなわち「情熱」です。「何としてでも成し遂げたい」という、身体の底から溢れ出てくる情熱。絶えることのない無尽蔵のエネルギーが脳と身体から溢れだ時、人は目的に向かって効果的な行動を積み重ねていくことができます。そうした、情熱を注げるに値する目的を見つけられるかどうか。すべてはそこにかかっているのではないでしょうか。
「何としてでも」と思えるだけの強烈な目的意識。それこそが、人生のおける「使命」です。自分が生きている意味であり、生涯を通じて成し遂げるべきゴールです。そして、それは本人のパーソナリティに根ざし、過去の数々の経験を通じて無意識に形成されてきた、自分の中に眠る最大の欲求なのです。
この欲求は誰にでもあります。以前の投稿で、私は「人生は大小の『選択』の積み重ねである」と述べました。日々の生活の中で無数の選択をしている私たち人間は、意識的にしろ、無意識にしろ、自分なりの「興味」「能力」「価値観」「役割」に基づいてその選択を行っています。
これらは自分を形作るパーソナリティ、すなわち「個性」です。個性は環境と経験によって形成されます。これまでの人生で積んできた様々な経験と、家庭や学校、職場などの外部環境によって形成されてきた個性は、年を追うごとに統合され次第に一貫性を帯びていきます。その統合された先にあるものが、究極的には「人生の目的」ではないかと思うのです。
もちろん、人間は矛盾した価値観や感情を併せ持つ複雑な存在です。しかし、常に矛盾しているわけではありせん。感情の起伏・変動によって通常とは違う反応を見せることがあったとしても、基本的なスタンスは安定に向かっていきます。それは自分なりの「人生の目的」に結びついているのです。自分で認識しているか、していないかにかかわらずです。
それを「自覚」さえすることができれば、迷うことのない人生が送れるはず。自分が心の底から求めている目的に向かって全力で日々の生活を送っていくことができるのです。
そうした自分なりの「使命」を見つけること。それこそが人生で成功する最初のステップだと考え、自己分析を重ねることで自分のパーソナリティを自覚する方法について、これまで繰り返し述べてきました。
これまで投稿してきた自己分析の話はすべて、この「人生の目的を探る」というその一言に辿りつくのだなと、私自身も改めて気づきました。自覚された「興味」「能力」「価値観」「役割」が統合されたその先に、自分だけが持つ人生の「使命」があるのです。
次回に続きます。