ブログ
2014.12.8
久々のブログです。毎日更新するという目標も3ヶ月でいったんストップしてしまいましたが、今日からまた再開していきます。
先週末、勤めている会社で携わっていたあるプロジェクトが終了しました。数ヶ月前から準備を重ねていたのですが、
・私を含め、その分野では未経験の社員ばかり
・以前まで外注していた部分もはじめて社内で対応
・申込受付から催行までの期間が以前に比べると極端に短い
ということもあり、この一ヶ月は会社の仕事に注力せざるを得ない状況となりました。
深夜・休日を問わず、一心不乱に仕事に打ち込む日々となり、ブログやメルマガをどうするか、非常に悩みました。
自分の将来につなげるため、自分でやると決めたことをやりぬくため、そんな状況でも優先的に時間を確保するべきかとも思いましたが、
目の前にある無理難題プロジェクトを成功させるべく、チーム全員が身を投げ出す思いで取り組んでいる中、自分だけ手を抜くわけにはいかないと、この1ヶ月は会社の仕事を優先すると決め、更新を見合わせることにしました。
常に最善を尽くす
自分のポリシーとしてこの言葉を掲げている以上、手を抜かずに本気で取り組む必要があると考えました。そして、そうしなければきっとプロジェクトは立ち行かなかったでしょう。
誰かと転職の話をする機会があると、「今の会社では自分は評価されない。自分をより高く評価してくれるところに転職したい」といった台詞を聞くことがあります。
しかし、私の考えでは、よほど現在の仕事が資質面でミスマッチでない限り、他の場所に行ったからといって評価があがることは、あまりありません(すべてではありませんが)
高い評価を受ける人は概してどこにいっても高い評価を受けます。人間関係や、偶然の好環境で短期的に高評価を得る人もいますが、それらは長く続きません。必ずボロが出ます。
一方、常に高い評価を得る人は、環境が変わっても高い評価を得ます。本物の能力を備えているからです。
逆説的ですが、どこに行っても必要とされる人間であれば、今いる場所でも必ず必要とされます。
私は、今いるこの場所で必要とされる人であり続けるために、私業を一時中断して、会社の仕事に注力しました。そうすることで、将来、もっと自分が望む仕事ができる別の場所でも、必要とされる人間になろうと考えたのです。
渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」を捩った言葉ですが、いま私は自分の中でこの言葉を大事にしています。
ブログで書き続けた通り、自己分析を重ねて自分の願望に気づき、将来を描いて計画を立て実行することはとても大事です。具体的な行動を愚直に積み重ねること以外に、思い描いた将来を実現する術はありません。
しかし一方で、いま目の前にある現実をなおざりにして、将来に向けた行動だけ追い続けるのはとても危険です。それは、場合によっては現実逃避にもなりかねず、現実を動かしていく自分自身の力を削いでいくこともなり得るのです。
したがって、私たちは日々の生活を送る上で、
・思い描いた将来
・目の前にある現実
の両方に働きかける必要があります。それゆえに、
置かれた場所でも咲く
ことを目指していく必要があるのではないかと思います。
急がば回れ
目の前にある現実に真剣に立ち向かうことが、むしろ思い描いた将来を引き寄せる近道になるのではないかと、最近、私はよく考えます。