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2015.1.15
ここ数日、五年間のビジョンを描き、一年間の目標を立てることについて述べてまいりましたが、ビジョンを描いたり目標を立てたりする際に、とても重要な要素があります。
それは、「欲求」です。
・私は何がしたいのか?(Do)
・私は何が欲しいのか?(Have)
・私はどうありたいと思っているのか?(Be)
将来を描き、それに近づくよう行動する上で、この3つの観点から、自分の心の奥底から沸き上がる欲求に素直に耳を傾けることが大切ではないかと私は考えています。
人間はもともとは自分の欲求に素直な存在です。
赤ちゃんは眠い、お腹が空いた、排泄したいなどの欲求があれば、ところ構わずそれを訴えます。泣くという行為を通じて、自分の欲求を主張するのです。
ところが、成長するに連れて、次第に人は我慢することが求められるようになります。
・お菓子を我慢する
・おもちゃを我慢する
・トイレを我慢する
・ゲームする前に宿題をしなければならない…
社会は自分を中心に動いているわけではありません。なので、社会に自分を適応させることは、生きていく上で身につけなければならない知恵であることは間違いありません。周囲に迷惑をかけないように、自分勝手な行動を制されて、人は徐々に社会への適応性を身につけていくのです。
褒めて欲しいから。お菓子やおもちゃなどのご褒美が欲しいから。あるいは、怒られるのが嫌だから…
人は次第に、親をはじめとする大人の言うことを聞くようになっていきます。自分が望んでいることではなかったとしても、精神的・物質的な報酬を求めて、他人が期待することをするようになるのです。
それ自体が悪いことではありません。自分の欲求だけを優先するのでなく、家庭や地域社会の中で、自分が果たすべき役割を果たすようにしつけられるのは、子どもから大人になる過程で大切なことです。
しかし、「なぜそうしなければならないのか」の説明が不十分だったり、必要以上に攻撃的な口調で責められたり、こちらの言い分を聞いてもらえないままに、ただ「やれ」とだけ言われると、自分が否定されたような気分になり、自分の中から芽生えている欲求を封じ込めなければならない状況と化していきます。
加えて、日本では他人に迷惑をかけないことを通り越して、周囲と足並みを揃えることが必要以上に重要視されます。和を乱さないことが優先されるのです。「みんなと同じ」であることが求められ、また自らも求めるようになっていきます。
いつでも、どこに行っても、「空気を読むこと」が求められるようになるのです。「自分がどうしたいか」よりも、「どうやったら、みんながうまくいくか」を考えるようになっていきます。
そして、いつの日か、自分が何を望んでいるのかすらわからなくなってしまうのです。
これは何も、「自分勝手になれ」「子どものようになれ」と言っているわけではありません。
大人として、他人の権利を侵害しない行動を取ることは大変重要なことです。しかし、だからといって「自分が本当に望んでいることは何か」を見失う必要はないということです。
必ずしも自分勝手に振るまい、他人の迷惑を省みないことが、自分の望みを叶えることとイコールにはなりません。大人として取るべき態度・対応の範囲内で「どうやったらできるのか」を模索し、それを実行する。
それが社会の中で自己実現するということではないかと、私は思います。
自分が何を望んでいるのか?
他人の期待にこたえ、周囲と歩調を合わせることに慣れてしまうと、自分の中で素直に沸き起こる純粋な願望に気付かなくなってしまいます。浮かんでもすぐに打ち消してしまうからです。
・こんなこと考えてはダメだ
・周りから何を言われるかわからない
・家族や友人の期待を裏切ってしまう
心配がばかりが先行し、自分が素直に望んでいることを受け入れることができなくなります。それが何年も続いた結果、
自分が何を望んでいるのかわからない
という状態に陥ってしまうのです。
人は自分が本心から望んでいることが満たされた時に幸せを感じます。幸せを感じることができない、満たされていないと思うのは、自分が心から望んでいることに自分自身が気づいていないから。
幸せとは捉え方の問題であり、捉え方は自己理解のもとに成り立ちます。自己理解が浅いことが、幸せを感じられない心の質を作り出してしまうのです。「幸せ不感症」とも呼べる状態です。
昨年、このブログでは自己分析の必要性を繰り返し述べてきましたが、幸せ不感症の方は「どうやったら自分が幸せを感じるのか」すなわち
・私は何がしたいのか?(Do)
・私は何が欲しいのか?(Have)
・私はどうありたいと思っているのか?(Be)
を何度も繰り返し、自分自身に問いかける必要があります。自己分析のツールをしたり日記を書くことは、自分自身と対話する手段です。それらはすべて、「自分の欲求を明らかにするために行う」と言っても過言ではありません。
自分のことは自分でもよくわかりません。もう一人の自分と対話を重ねることで、自分が本当に望んでいるものが、何なのかを追求していきましょう。
どうすれば自分が満たされるかを理解できるようになると、不思議なことに、いろいろな身近なことを嬉しく、ありがたく感じるようになります。それが積極的・肯定的・意欲的な自分を作り出し、もっと大きな目的に向かって進む原動力になっていくのです。