ブログ
2021.12.6
ここのところ、DX(デジタルトランスフォーメーション)というキーワードを用いた研修やセミナーの引き合いをいただく機会が増えてきました。
英オックスフォード大学のマイケル・オズボーン准教授が「10~20年以内に、労働人口の47%が機械に代替されるリスクがある」という趣旨の論文を発表されてから、早くも8年が経過。本当にあと数年で半数近くの労働者が不要になるのかについては、私自身はやや懐疑的ではありますが、セルフレジやドローン配送、あらゆるジャンルのマッチングアプリの普及を見る限り、その方向に向かっていることは確かだと思います。そして、コロナ禍によるデジタル化・オンライン化の加速が、一層その状況に近づけているとも言えるでしょう。
私自身はIT系企業に所属していたこともなく、企業の情報システム部門に兼務として配属されていた程度のリテラシーしかありません。ExcelやAccessでちょっとしたプログラムを開発する程度ならできますが、世の最新テクノロジーを用いてバリバリ仕事ができるようなスキルはあいにく持ち合わせておりません。
しかし、それでも新しいテクノロジーの技術的な特性や用途の概要くらいは理解しておこうと努めてはいます。それはコンサルタントという職業についていることもあるのですが、それ以上に自分があと約30年(もしくはそれ以上)働くことを考えると、当然こうしたものと無縁ではいられないだろうという危機感が、私自身にもあるからです。
DXをテーマとした研修やセミナーに限らず、人前でお話しさせていただく機会に私が最近よくお伝えしているのが「リスキリング」の重要性です。その名の通り「再びスキルを身につける」ということですが、オズボーンの言う「機械に代替されるか/されないか」の境目を分けるのは、リスキリングができるか否かにかなり相関するのではないかと私考えます。
希望退職募集と定年70歳から、自律的なキャリアデザインの重要性を考える
医療技術の進歩に伴い平均寿命が伸び続け、「人生100年」と呼ばれる時代に突入しています。社会の少子高齢化に伴い、生産年齢人口の不足から職業人生の長期化が求められるようになり、定年70歳もすでに企業に努力義務を求める段階に入っています。70歳までの雇用が法律で義務化されるようになるのも、もはや時間の問題だと言えます。
1980年代頃までは55歳定年が一般的でした。その後、60歳、65歳と段階的に雇用義務の期間が延長されてきました。もちろん、これは公的年金の支給開始時期が延長されるのと連動する形で伸びていっています。
仮に四年生大学卒で22歳で就職した場合を考えると、55歳定年の頃は労働期間は33年間だったわけですが、70歳定年ともなると48年間になります。ほぼ半世紀です。半世紀もあれば、世の中の様相は大きく変わります。同じ仕事を、同じようなスタイルで続けられるのであれば、職業人生が長期化するとしても、肉体的・精神的に健康であり続けさえすれば、働くこと自体はさほど問題ないかもしれません。
しかし、実際には働いている約半世紀の間に、技術革新が何度も起こるわけです。郵便はFAXに代わり、それが電子メールに代わり、そしてチャットやメッセジャーに置き換わる。固定電話がPHSになり、携帯電話になり、そしてスマートフォンになる。手書きの書類はWordやExcelなどのOfficeソフトに入れ替わり、今後はそれが構造化されたデータの生成と交換に向かっていきます。これらはすべてたった30〜40年くらいの出来事です。
もちろん、今でも郵便もあるし、固定電話もあるし、手書きの書類もあります。しかし、いずれも現代の基準で考えれば、情報処理スピードが圧倒的に遅いです。過去の慣習としがらみで続けているのは別としても、これから事業をはじめるにあたり、自ら郵便、固定電話、手書きで業務を設計する選択する人はいないでしょう(もしいたとしたら、その事業が発展するのは相当難しくなります)
長く働き続けるということは、その間に仕事の仕方が変化し、それに適用するために自分のスキルを上げていくことが前提になります。同じことを同じように、半世紀にわたってやり続けようとするのは、むしろ無謀な挑戦だとすら言えます。
DX(デジタル・トランスフォーメーション)とは、ウメオ大学のエリック・ストルターマン教授が2004年に提唱した「ITの浸透が、人々の生活をあらゆるより良い方向に変化させる」という概念です。シンプルに言えば「ITが発展すると人の生活はいろんな方面で良くなっていくよね」くらいの意味でしょうか。
Digital Transformationの略なので「DT」になるのではという疑問も生じますが、英語圏では「Trans-」を「X」で表現する慣例があることから「DX」と表記されます。2004年に提唱された概念なので、発端はすでに十数年も前の話になるのですが、日本でDXという言葉が用いられるようになったのはここ3年くらいの話です。政府が掲げる成長戦略の中でDXという言葉が表記されたことで、国内でも一躍脚光を浴びることになります。エリックの定義は抽象的で広範なものでしたが、ここで用いられるDXの概念はかなり限定的です。
企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること(経済産業省 DXガイドライン)
「事業や商材、企業や組織の変革にデジタル技術を活用して、競争優位を確立すること」くらいの意味で捉えておけば良いでしょう。
DXという言葉は2018年頃からすでにビジネスシーンで見かけるようになっていましたが、普及に拍車をかけたのがやはりコロナ禍です。密を避けた行動様式を迫られるようになる中で、事業やワークスタイルのデジタル化ができるかどうか(もっとわかりやすく言えば、商品やサービスをオンラインで展開できるかどうか、リモートワークができるかどうか)が、企業の命運を大きく左右するといっても過言ではない状況になりました。こうした経緯で、DXは今やビジネスシーンを代表するバズワードの一つとして君臨しています。
DXなんてしなくていいからデジタル化して
DXとは、事業や組織のあり方をデジタル技術を用いて「大きく変革する」ことです。Transformationは「変革」「変態」などと訳されますが、要するに原型をとどめないくらいに大きく様変わりするくらいの大変化を表します。したがって、今やっている仕事をただ「デジタル化」するだけでは、厳密には「DX」とは呼べません。
コロナ禍で加速したDXの動きがこのまま加速すると、上述のオズボーン仮説がよりリアルになってきます。技術革新が加速し、人工知能やロボットができることが増えれば、当然、人がやっている労働を機械に置き換えようと言う動きが出てきます。具体的には、レジ打ち、輸送・運搬、簡単な組立・加工、会計や一般事務など、定型化・標準化された仕事が機械化されていくことになります。
職業に求められるスキルをざっくりと「低スキル」「中スキル」「高スキル」に分類すると、労働力人口の構成比はおよそ2:6:2になると考えられます。そして、テクノロジーの進化によって機械に置換されるのは、必ずしも「低スキル」層ではなく「中スキル」層の大部分が含まれます。その結果、機械に代替された中スキル層の人々は、「高スキル」層へ上がるか、「低スキル」層へ下がるか、身の振り方の選択を迫られることになります。
当然、低スキル層へ下がってしまえば、生活水準も仕事の満足度も低下します。それが耐え難いのであれば、高スキル層を目指すほか選択肢はありません。ここでいう「高スキル」こそが、DXを推し進めたり、DX化した仕事で高い付加価値を生み出すための能力です。言わば、これからの時代の「高スキル」に相当するための能力を、働きながら磨き上げていくことが必要で、これを「リスキリング」と呼びます。
経済産業省の定義によれば、リスキリングとは下記のように定義されます。
新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する/させること(経済産業省 リスキリングとは)
再び(re)スキルを身につける(skilling)ということですが、好き勝手に興味があることを学び、技術を習得することがリスキリングではありません。いまの就労環境を維持しながら、DX時代に求められるスキルを身につけ直していくことです。
リスキリングで習得すべき具体的な技術については、明確な定義や指針は(今のところ)ありまえんが、私の考えでは下記のようなものになるのではと考えてます。
これからの時代、どんな仕事をするにしてもデータの収集と活用は不可欠になります。目的に合致して有益なデータを収集する能力、それを加工し、分析して、データから意味を取り出す能力が必要で、そのためには基本レベルの統計学知識も必要になります。学校教育で「情報」科目にデータサイエンスを取り入れることを見ても、データや情報の操作スキルが「基礎能力」として位置づけられたことの表れではないかと思います。
ただし、情報やデータはあくまでも「活用する」ものに過ぎません。それを何に活用するのか、すなわちビジネスの目的や目標設定と問題解決には、ベースとなる思考力、対人関係能力、管理能力も必要で、ビジネス基礎力を引き上げていくことも、広い意味でのリスキリングになるのではと思います。
現状の仕事をしているというだけでこれらの技術が「勝手に身につく」ような、恵まれた環境にいる方はほとんどいないでしょう。当然ながら、リスキリングをしていくためには「現状の仕事+α」の労力と時間を割いていくことが求められます。時間を捻出し、計画的に必要な知識・技術を習得していけるかどうか。それがDX後の世界で、経済面・内容面で良い仕事に恵まれるか否かの境目になっていくだろうと私は考えます。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。